お祭りに電車を走らせよう〜第56回「わたしの保育記録」佳作~
第56回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。
(表記は基本的に応募作品のままです)
(一般部門)
「お祭りに電車を走らせよう」
学校法人けやきの杜 小平神明幼稚園(東京・小平市) 田中 岳
目次
「コロナ禍によって遅れた始業」
今年度、私は年長組の担任となった。私自身、久しぶりの年長担任であるため、子ども達と始まる1年間をとても楽しみにしていた。そうした中で、幼稚園で決定された“コロナウィルスによる国の緊急事態宣言を受けての休園”。休園は5月いっぱいまで続き、再開されたのは6月からだった。
6月からも、1クラス(23人)を4分割し、1日5~6人、週1回の登園から幼稚園が始まっていった。子ども達は久しぶりの幼稚園の為、遊び始めるのに時間がかかる様子や無気力状態で「遊ばない」という子。幼稚園に登園してきても終始“テレビゲーム”の話をしている子が多く、「このままではいけないな」という漠然とした危機感から保育が始まっていった。
6月5日(金)「段ボールで電車を作ろう」
金曜日に登園する子ども達の中に、電車が好きで、年中の頃には段ボールを使って改札を作ったり、標識を作ったりして遊ぶのが好きだったK君やY君がいる。
家庭との連携の中でK君の母から、「コロナウィルスの事をテレビなどで見ることを怖がるようになった。家から出ることを嫌がるようになり、家で YouTube ばかりを見るようになってしまった」と話があった。Y君の母からも「家にいる時間が長くなってしまい、イライラすることが増えた」と教えてもらった。
そんな状況のK君やY君に、“幼稚園に来たからには楽しんでもらおう”と、保育者から「段ボールを使って電車作りしない?」と誘ってみた。すると、止まっていた生活を取り戻すように、年中組で経験した電車作りや、線路作り、改札に駅ビル作りと、イメージが2人から湧き出てきた。台車に段ボールで作った電車を乗せて、実際に動く電車が制作されていく。
「電車には、アンテナをつけて…地下鉄だから、ネズミが来ないように嫌な音も出さないとなぁ」と大張り切りのY君。熱中しているとあっという間に帰りの時間となってしまった。この日は、全部を作ることが出来ず、K君は「また、早く幼稚園にきてつづきやりたいな」と言って帰っていった。
こうして作り始めた電車は、また次の週に2人が来た時も続きが出来るように、教室の隅にしまっておくことにした。
6月9日(火)「電車が故障する~手紙書けばいいんじゃない?~」
火曜日に登園してきた子ども達(以下、火曜日チーム)が、金曜日にY君とK君とが作っていた電車を見つけた。火曜日チームが電車に乗り込んで、園内を一周すると、体重の掛け方が悪かったのか、運転の仕方が悪かったのか、台車と本体が分離してしまい壊れてしまった。
保育者「金曜日チームの子たちが一所懸命作った電車が壊れた!!どうしよう!!」
N君「ごめんねしよう」
保育者「みんなが金曜日チームの子たちに会うのはしばらく先だしなぁ」
N君「手紙書けばいいんじゃない?」
保育者「なんて書こうか…」
子ども達同士で話し合った結果、以下のような内容を子ども達が考え、私が代筆した。「Yくん、Kくんへ でんしゃ こわしちゃってごめんね。でんしゃ たのしかったよ。おこらないいでね。かっこよくて こわれない でんしゃを つくってね」
6月12日(金)「木工の電車作りの始まり ~もー!しょうがないなー!~」
一週間ぶりに幼稚園に登園してきたY君。先週作った段ボールの電車が壊れていることに登園してすぐに気が付いた。保育者から事の経緯を説明し、火曜日チームからの手紙を読み上げた。
嫌なことがあると、切り替えに少し時間がかかる姿もみられるY君。「怒ってしまうかな?」と保育者が思っていると、「もー!しょうがないなー!」とY君。そして、「壊れない電車を作りたい」と主張。丁度、木材があったため、保育者より「木で電車作ってみる?」と提案すると、「やってみたい!」とY君。
後から登園してきたK君にも状況を説明するとK君も賛同したため木工での電車作りが始まっていった。
6月17日(水)「新しい友達との関わり ~一緒に作らせて!~」
6月の3週目からは、クラスを半分にして週2回、登園することが出来るようになった。2週目までは元クラスの仲間との生活であったが、3週目からはクラス替えによって初めて関わるメンバーとの合流であった。
この日、Y君は、家で電車の設計図を丁寧に描いて幼稚園に持参してきた。この日から水曜日チームと金曜日チームが合併して12人のクラスになっていた。水曜日チームの子たちも木工の電車作りに興味を示し、「一緒に作らせて!」とY君、K君にお願いする姿があった。
年中時のY君、K君は、どちらも、自分の興味に向かって熱中するが、他の子との関わりが少ない姿があった。しかし、木工の電車作りでは、電車を介しながら、2人が他児から頼られることによって、他児と繋がっていく姿がみられていた。こうして、幼稚園に来ては電車を作るという日々が続いていった。
7月6日(月)「お祭りに向けた話し合い ~お祭りに電車を走らせよう~」
7月の2週目から、クラス全員が登園することが出来るようになり、毎日幼稚園に来られるようになった。例年ならこの時期は、年長が他の学年にカレーを作って振る舞ったり、お泊り保育で高尾山に登ったりしている時期だった。それが、全部中止となりクラスのみんなで何かに向かうことを経験できずにいた。
毎年7月末に行っている“夕涼み会”という保護者を呼んで一緒に盆踊りを踊る行事も中止となった。同僚の保育者と話し合う中で、 “夕涼み会”という行事の代わりに、年長が企画者側になって、“お祭り”を開いて他学年を招待することが提案された。
子ども達に“お祭り”の話をすると、子ども達からも色々なアイデアが提案された。その話し合いの中で、K君から「お祭りでお客さんを電車に乗せるのはどうだろう?」とアイデアが出されると、Y君も「いいね!」と賛同。クラスの子ども達も「お店まで電車で運んできてくれるの?」「それ、いいね!」と認める声がたくさん挙がった。
この日から、“お祭り”に向けて、Y君、K君は電車のチケットを作ったり、改札を段ボールで作ったりすることを、電車作りと並行して制作していた。
7月17日(金)「“お祭り”当日 ~あぁ!楽しかったけど、疲れた!~」
私のクラスでは、お店屋さんが6店舗、「お寿司屋さん」「射的」「キャンディー屋さん」「三つ編み屋さん」「金魚釣り屋さん」「古本屋さん」が出展された。各お店屋さん、3~5名で運営をしていた。このお店屋さんにお客を運ぶ電車役を、Y君とK君が担当していた。お店は自分たちのクラスで行い、事前に知らせておいた駅にお客さんに来てもらい、クラスの前まで運ぶ役目を電車が担った。
電車を運転するY君。改札にチケットを入れることを促すK君。たくさんのお客さんが来てくれたことによって、一息つく間もない状況だったが、二人は一生懸命にお客を接客し、10時から11時30分という長い時間、休憩一つせずに接客を続けた。
お店屋さんが終わるころ、二人は教室に戻ってきた。そこで、Y君は息を漏らすように「あぁ!楽しかったけど、疲れた!」と一言つぶやいた。K君もそれに続くように「お客がたくさんきて大変だったんだよなー!」とY君と顔を見合わせていた。
保育記録を振り返って
緊急事態宣言後の子ども達の姿を見て、ゲームに夢中だった子ども達に危機感を抱いていた。しかし、この実践を通して、子ども達は“緊急事態宣言”中も、何か熱中できるものを探していたのではないかと考えるようになった。
本来であれば、幼稚園の最高学年である“年長組”になり、子どもたちなりに楽しみにしていた“年長”での生活が、状況のわからない中で急遽、休園になるという事は混乱があったのだと思う。それと同時に、そうした中でも子ども達は「何か熱中できるものを探す生き物なのだ」という事を改めて感じることが出来た。その“熱中”がゲームに向かっていただけなのだと。
幼稚園が始まり、子ども達が他児と関わり、認められる中で、“疲労感から充実感を感じる姿”に改めて幼児期の暮らしの重要性を感じるコロナ禍での1学期だった。
受賞のことば
学校法人けやきの杜 小平神明幼稚園(東京・小平市) 田中 岳
この度は、このような身に余る賞を頂き、ありがとうございます。保育を行っていると、うまくいかない事や、“何故、あの時にあのような対応をしてしまったのだろう”と後悔や反省の日々です。そのような時に、「次はこうしてみよう」と教えてくれるのが、子どもの姿であり、保育記録であり、同僚保育者の助言です。
今回の記録は、コロナウィルスの感染拡大に伴い、一保育者である私が子どもと生活を共にする中で、“どのように生活を進めたらよいのだろう”という葛藤を抱えながらも、自分なりに一日一日を大切に過ごしてきたことを記録にしました。粗削りで未熟な保育ではありますが、同僚やクラスの子どもたちにたくさんの事を教えてもらいながら過ごした半年間となりました。
賞に選んでくださった審査員の方々への感謝とともに、クラスの子どもたち、共に働く同僚、いつも温かく見守って下さる保護者の方にも感謝を伝えたいと思います。ありがとうございました。
講評
鶴見大学短期大学部 天野珠路
本作品は、コロナ禍における幼稚園の貴重な保育記録となっています。4月早々の休園、6月からは「1クラスを4分割し1日5~6人、週1回登園」、その後、「クラスを半分にして週2回登園」と順次再開し、全員が登園できるようになったのは7月第2週からでした。
「幼稚園に来たからには楽しんでもらおう」と保育者は子どもの興味に沿って電車づくりを提案し、子どもたちは「止まっていた生活を取り戻すように」電車づくりに熱中します。次に園に来た時、続きができるようにしながら取り組み、途中、壊れた段ボールの電車を木工で再生し、実際に動く立派な電車が完成しました。この電車は年長児が参画する「お祭り」で大いに活躍し、「お店屋さん」にお客を何度も運びました。
子どもたちの達成感や喜びが伝わり園生活の大切さが実感されます。さらに電車を作り上げる過程や子どもたちの工夫が具体的に描かれていたらよかったと思います。
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