大人の不適切な言葉が子どもの脳を傷つける~マルトリートメント~
虐待などの大きなストレスにさらされた子どもの脳は、変形してしまう……そんな衝撃の研究結果を発表した友田明美先生に、お話をうかがいました。保育の現場で子どもたちにできることは何か、考えてみましょう。
お話/友田明美先生
福井大学子どものこころの発達研究センター教授、小児神経科医
1987年熊本大学医学部医学研究科卒業。医学博士。2011年6月より現所属。著書に新書『子どもの脳を傷つける親たち』(NHK新書)、『虐待が脳を変える 脳科学者からのメッセージ』(共著/新曜社)などがある。
目次
マルトリートメントとは?
「マルトリートメント」という言葉を聞いたことがありますか。treatment( 扱い)にmal「悪い」という意味の接頭語をつけた言葉で、日本では「不適切なかかわり」と訳されています。「児童虐待」と近い概念ですが、より広範囲な、子どもに対する大人の不適切なかかわり全体をさします。
私はこの言葉が日本で広く認知されるようになってほしいと考えています。「虐待」と聞くと、どこか自分とは関係のない、遠い世界の話だと思う人が多いからです。
どの家庭も経験していること
親が子どもをたたいたとき、「それほど強くたたいたわけではないから虐待ではない。➨虐待ではないから問題なし」などと考えてしまいがちです。子どもに目立った傷や精神疾患がみられなくても、行為そのものが不適切であれば、それは「マルトリートメント」。その行為が継続されると子どもは傷つき、心の発達が阻害されます。
子どもを殴る親は「子どもの行為をただすためにやむなくやったのだ」と、自己弁護をしがちですが、わが子が憎くてやっているばかりでないのも事実です。その行動に「虐待」という不名誉なラベルを貼ることで、親が立ち直るチャンスを奪いたくありません。とっさの感情で子どもを傷つけるような不適切なかかわりをしてしまう経験は、どの親にもあることです。
過去に行った不適切なかかわりを取り消すことはできませんが、どのような行為がマルトリートメントにあたるのか知り、子どもを傷つける言動をくり返さないことが大事です。
聞くに堪えない暴言は聴覚野を変形させる
まだ発展途上にある子どもの脳は、大人よりダメージを受けやすくもあります。マルトリートメントによって子どもの心が傷つくとき、子どもの脳の機能や神経構造にダメージを負っていることが明らかになってきました。
親から暴言を浴びせられて育った子どもは、過度の不安感やおびえ、泣き叫びなど、情緒に問題が生じ、やがてひきこもりやうつなどの問題が生じる場合があります。このとき、脳ではどのような変化が起こっているのでしょうか。
アメリカで行われた実験によると、言葉によるマルトリートメントを受けた人たちはそうでない人たちに比べて、脳の「聴覚野」と呼ばれる部分の左半球の一部である「 上側頭回灰白質」の容積が、14・1%も増加していることがわかりました。
聴覚野の肥大は、人の話を理解したり、会話したりするときに余計な負荷がかかることを意味します。そのせいで心因性難聴となったり、情緒不安定を起こしたりして、人とかかわること自体を恐れるようになってしまいます。
マルトリートメントの種類× 脳への影響
脳の変形は防衛反応
マルトリートメントの種類により、変形する脳の部位が変わることも実験で明らかになりました。体罰を受けた人の前頭前野は萎縮し、感情や思考のコントロールに悪影響を及ぼします。また、体から脳に痛みを伝える神経回路が細くなることも別の実験でわかっています。これは、体罰による痛みに鈍感になるようにと、脳が適応している可能性が考えられます。
マルトリートメントの種類によってダメージを受ける場所は違いますが、脳に最もダメージを与えるのは、意外にも言葉によるもの(子どもに対しての暴言だけでなく、夫婦間の罵り合いの目撃であっても)でした。
早く手を打てば変形した脳が元に戻ることも
上述のように、マルトリートメントを受けた子どもの脳は、そのストレスに耐えようとして変形し、機能が損なわれます。それゆえ、心の病や反社会的行動が生涯にわたって引き起こされます。では、一度変形して失われた脳の機能は、もう回復することはないのでしょうか。
これまでは、脳の細胞は一般に一度損なわれてしまうと再生することはないと思われていました。しかし最近の脳科学の研究で、脳の傷は癒やされるという事例が多く発表されています。認知行動療法や薬物療法によって、萎縮した大人の脳が回復した例などがあります。
ほぼ成長を終えた大人の脳でさえ希望があるのですから、日々成長を続ける子どもの脳も、適切なケアや治療を行うことで回復の可能性が高くなることは明らかです。いずれにしても大事なのは早期の対応です。
マルトリートメントによる愛着障がい
保育者のみなさんは、「愛着障がい」という言葉は聞いたことがあると思います。子どもに対するマルトリートメントと「愛着障がい」には、深い関連があります。
子どもは生まれてから5歳くらいまでの間に、親や養育者との間に強いきずな(「愛着」。アタッチメントともいいます)を形成しますが、その時期にマルトリートメントを受けると、76%もの子どもが愛着障がいを起こす、と指摘する人もいます。
子どもたちは、親や養育者との愛着によって得られた安心感や信頼感を足がかりにしながら、周囲の世界へと関心を広げます。子ども時代に愛着をいかに築くかがその後の人生、特に精神的な面に影響を与えます。
その愛着の問題には、内向きタイプと外向きタイプがあります。内向きタイプは誰かを信用する、人に甘えるという経験値が極端に低いため、自分に向けられる愛情や好意に対しても怒りや無関心で応じてしまいます。
外向きタイプは反対に、誰かれ構わずに愛着を求めてしまい、愛情を振りまきます。一見社交的に見えますが、多動で友達とのトラブルが頻発します。他人に対して無警戒なため思わぬ危険に巻き込まれるケースもあります。
愛着障がいと診断されないまでも、マルトリートメントが原因で愛着の形成に問題が生じ、その後の対人関係や社会生活に大きな影響を与えるケースも増えています。
発達障がい( ADHD※)と愛着障がいの違い
愛着障がいは認知や言語習得の遅れを併発するため、発達障がいと混同されがちで、実際に診断に悩んだことが何度もあります。私たちは発達障がい(ADHD)の子どもたちと愛着障がいの子どもたちの脳の活動状態を比較する実験を行いました。
子どもたちにカードめくりゲームをさせ、あたりが出ると小遣いを与えます。ふつうの子どもたちは小遣い金額にかかわらずドーパミン(興奮や快楽をもたらすの脳内物質)が出て、脳の血量が増えますが、ADHDの子どもたちは少ない小遣いではあまり脳に変化が表れません。
それに対し、愛着障がいのある子どもたちは小遣い額が多くても少なくてもほとんど脳の血量に変化がありませんでした。何を与えられてもやる気が出ないのが愛着障がいなのです。
※ADHD:注意欠如・多動性障がい
傷ついた子どものために保育者ができること
虐待被害を受けた子ども、愛着障がいを起こした子どもへの対応において、保育者は「当事者」といえます。期待されているのはどんなことでしょうか。
親子関係の問題発見と状況のアセスメント
毎日子どもたちと接している保育園、幼稚園は、マルトリートメントの兆候を発見する窓口としての役割が期待されています。下に列挙したように、子どもはさまざまな形でそのサインを出しているものです。どんなことを、どんな状況でしたのか、現在の安全の確保ができているのかをきちんと把握し、関係機関につなぐことが大事です。状況の把握を「状況のアセスメント」といいます。
マルトリートメントの兆しとなる主な症状(乳幼児の場合)
□低身長 □低体重 □栄養障がい □乱暴 □多動(落ち着きがない) □こだわり □かんしゃく □反応性愛着障がい □チック
保護者へのケア
虐待を受けた子どもたちが親になると、今度は自分が虐待を行うという虐待の世代間連鎖が知られています。虐待とまではいかないまでも、愛着障がいの子どもの親は、自身が愛着障がいに苦しんでいる場合が多いということも忘れてはなりません。
誰だって自分は虐待をしない親でありたいと思っているはずで、下のチェックポイントに挙げたような不適切な養育環境にあったとしても必死に生き抜いてきたのであろうと思います。そこに敬意を払いつつ、接していく支援が重要であると思っています。
マルトリートメントに至る養育環境のリスク要因
□未婚を含む単身家庭
□内縁者や同居人がいる家庭
□子連れの再婚家庭
□夫婦関係をはじめ人間関係に問題を抱える家庭
□転居をくり返す家庭
□親族や地域社会から孤立した家庭
□生計者の失業や転職のくり返しなどで経済不安のある家庭
□夫婦不和、配偶者からの暴力(ドメスティックバイオレンス)など不安定な状況にある家庭
□定期的な健康診査を受診しない
関係機関や医療につなぐのをためらわない
家庭環境や親子関係の問題に気づいたら、保育者はひとりで抱えてしまわずに、管理職と相談しつつ子ども家庭支援センター、保健所・保健センター、児童相談所に相談(通告)してください。家庭の問題を医療や福祉につなげると「告げ口をした」と思われるのではないか、などと恐れないでください。適切な療育や対応によって、その子どもが受けた傷を回復させることができるのです。
保育者が積極的に使いたい3つのコミュニケーション
マルトリートメントを受けている子どもはもちろん、そこには至らないものの子育てに不安を感じている家族に対して、友田先生が実践している心理教育的介入プログラムCARE(ケア)※の一部を紹介します。
※ Child-Adult Relationship Enhancement
すべての大人が試すことができるプログラム。研修やワークショップも行われている。CARE-Japan のWEB サイトはこちらから
1.くり返す
子どもが「ねえ、うさぎさん描いたよ」と保育者に伝えたとします。「ほんとだ、うさぎさん描いたんだね」と、くり返すことにより、子どもが会話の主役になります。自分の話を聞いて、理解を示してくれることが子どもに伝わります。このようなやりとりによって子どもは会話を上達させ、その頻度を増やします。
2.行動を言葉にする
たとえば、絵本を棚に戻すという子どもの適切な行動に対して、「あら、お片づけしているのね」と言葉かけすることにより、保育者が興味・関心を示していることが伝えられます。子どもにとってはこれはよい行動なのだと学習する機会にもなります。子どもは今行っている行動についての考えをまとめることができます。
3.具体的にほめる
「お友達におもちゃを貸してあげられたんだ。えらいね」などと、具体的に子どもの好ましい行為や姿をほめます。ほめることは、罰や脅かしよりも、よい行動を増やす効果があります。子どもだけでなく、保育者自身もよい気分になり、よい関係が築けるはずです。
避けたいコミュニケーション
反対に、避けたいコミュニケーションもあります。1番目は「命令や指示」。たとえば子どもがお絵描きをしているとき、その絵を充実させたい大人はつい「こんなふうに描いてみたら?」といった提案をしてしまいますが、もし子どもが従わなければ、保育者も子どもも楽しめません。
2番目は「不必要な質問」。子どもが集中して遊んでいるときの「何してるの?」といった質問は、子どもの行動を中断させ、集中を切らせる不必要なものです。
3番目は「禁止や否定的な表現」です。「散らかさないで」「言い訳してもだめ」。このようなセリフで問題が解決することはまずなく、かえって子どもの否定的な行動を増やすことにつながります。
構成/佐藤暢子
イラスト/大枝桂子
撮影/西村智晴
『新 幼児と保育』2019年10/11月号より