【セミナーレポート】川田学先生『「つながり」の保育的発達論』講座第1回「主体性」をどうとらえるべきか?
保育の現場では「子どもの主体性を尊重する」という言葉がよく使われます。しかし、主体性とは具体的に何を指し、どのようにとらえるべきなのでしょうか。3月10日にオンラインで行われた小学館せんせいゼミナールの連続講座『「つながり」の保育的発達論』の第1回では、北海道大学大学院准教授の川田学先生がこのテーマについて90分の講義を行いました。本記事では、今回の講座のエッセンスをご紹介しながら、保育者として考えたい「子どもの主体性」について探ります。

目次
主体性という言葉の難しさ

冒頭で川田先生はまず、「ことばと実践のさくらんぼ」という興味深い比喩を紹介されました。保育をめぐってはさまざまな「言葉」がありますが、さくらんぼの二つの実をつなぐ茎のように、言葉と実践をつなぐのは目に見えにくい価値観です。この部分を意識しないと、言葉だけが一人歩きしてしまうという指摘は、多くの参加者の共感を呼んだことでしょう。
続いて「主体性」という言葉自体が持つ難しさについて言及しました。主体性は翻訳語であり、明治維新以降に欧米の思想を輸入する過程で生まれた言葉です。日本語にもともとなかった概念であるため、その解釈は容易ではありません。
講座では、海外のお酒や食事を受け入れるよりも言葉を受け入れる方がずっと難しいという興味深い比喩が用いられていました。「食べ物や飲み物はおいしいかおいしくないかで受け入れられますが、言葉の方がもっと難しい」という指摘は、言葉の背景にある文化や歴史の重みを感じさせるものでした。
さらに、主体性という言葉は学問の分野でも論争的で、専門的な定義が安定していないという特徴があります。一般的な国語辞典では「自分で判断して行動すること」などと定義されていますが、保育学事典や心理学事典では項目として取り上げられていないことも多いのです。
乳幼児の主体性を考える難しさ
保育の現場で主体性を考える際の難しさは、対象が乳幼児であることからさらに深まります。国語辞典的な「自分で判断して行動する」という定義を当てはめようとすると、とくに0~2歳児の保育では難しい問題に直面します。
「まだほとんど眠っている、目も合うか合わないか微妙な感じの赤ちゃんを前にして、主体性とはこれ、どう考えたら主体的な活動ってこれなんだろう。呼吸していることかな、ウンチしてることかな」と川田先生は語り、参加者の笑いを誘いました。
ウンチをしているのが主体的なのか、と問われれば「一般的には受け入れがたい」でしょう。「自分で判断してウンチしてないです。出ちゃってるんですから」という川田先生の軽妙な表現が印象的でした。
講座では、「子どもたちは揺らぎの世界に生きている」という表現で、子どもの意思決定の特徴が説明されていました。一度決めたことを絶対に変えないというわけではなく、友達の様子などに影響されながら気持ちが揺れ動いていくことが、子どもたちの魅力でもあるのです。
「主体性」に対する誤った解釈
主体性という言葉をめぐっては、二つの誤った解釈が見られると川田先生は説明します。
1. 放任論としての主体性
「子どもの主体性を大事にしたい」と言われたとき、「子どもがしたいことをさせたい」という解釈がよく聞かれます。しかし、この考え方では放任との区別がつかなくなってしまいます。
保育者からよく聞かれる「主体性とわがままの線引きが難しい」という悩みも、主体性を放任論的にとらえているからこそ生じるものです。主体性とわがままを同じ線上に置き、「ここまでは主体性、ここからはわがまま」と大人が線引きすることになれば、主体性は大人の都合のいい範囲内でしか認められないことになります。
「主体性、主体性って言いながら、その認める姿というのは大人にとって都合のいい姿だけ。これが一番危険だと思っています」と川田先生は警鐘を鳴らします。講座では、こうした誤った線引きの具体例が、川田先生の経験を交えて語られていました。
2. 狭い自己決定論としての主体性
もうひとつの誤った解釈は、主体性を「他者に影響されずに自己決定できること」と考える見方です。しかし、大人でさえ自己決定は周囲との関係性の中で行っています。
川田先生は自身の経験を例に挙げます。たとえば先生はこの今回の講座を1時間半でやってほしいと依頼され、それに同意しました。しかし、もし自分だけで決められるのであれば「15時間にしてくれませんか?」と言えるはずです。しかし現実にはさまざまな要素を考慮して、やりとりの中で落としどころを探し、最終的に「やります」と決めているのです。
「物事の決定というのは、やりとりのプロセスを経て落としどころを探すという、そういう決定なんですよ。それが社会的な存在である人間の宿命だと思います」
主体性を関係性としてとらえる
では、保育の中で主体性をどうとらえるべきでしょうか。川田先生は「主体性=関係論」という考え方を提案します。
「主体性というのは、その子どもが周囲の他者や環境、そしてときには自分自身との間に結んでいるいろんな関係の状態だ」
この考え方に立てば、生まれたばかりの赤ちゃんでも主体性を持っていると言えます。なぜなら、あらゆる子どもは人と関係を結ぶことができるからです。まだ自ら体を動かして行動できなくても、授乳やあやしてもらうなど、関係性の中で生きているのです。
「主体性はどの子にもあるんです。主体性がない子というのは一人もいないし、主体性が高いとか低いとか、そういう言葉も適切ではありません。主体性は能力ではないからです」
講座内では、この「関係の状態」についてのより詳しい説明と、イタリアやニュージーランドの保育実践の写真が紹介され、文化による「つながり」の違いが示されていました。イタリアの乳児保育園に設置された多くの鏡や、おむつ交換台に登るための階段など、子どもと自分自身とのつながりを重視する環境設定は、参加者の印象に残ったのではないでしょうか。
S君と帽子のエピソード
川田先生は、主体性を関係性として考える具体例として「S君と帽子」のエピソードを紹介しました。
ある園で、言葉がまだ出ていない1歳4ヶ月のS君がいました。紫外線アレルギーがあり、赤ちゃんの頃から外出時には必ず帽子をかぶっていたS君にとって、帽子は単なる持ち物ではなく、特別な意味を持つものだったのです。
「S君と帽子との関係というのは、単にS君のものというだけじゃなくて、S君と帽子とお父さんとお母さんなどとの関係性も、そこに含まって一年四ヶ月の歴史があって、帽子との関係を結んでる」
このエピソードは、子どもと物との関係性を理解することの重要性を示していました。川田先生は、主体性は子どもの中にあるのではなく、子どもと周囲との関係性の中にあると強調されました。
食事場面における主体性

川田先生は、食事の場面が主体性を考える上で重要な機会になると説明します。食事は「最も個人的な生理現象」でありながら、「最も社会的な場面」でもあるからです。
講座内では、給食室の栄養士らとの対話から生まれた気づきが共有されました。特に「ピッカリン」という言葉をめぐるエピソードは、大人の何気ない言葉かけが子どもにどのような影響を与えるかを考えさせる内容でした。
ある保育園での事例として、ほぼ白米しか食べない子どもに対する二つの対応を比較しました。一方は何も言わない放任的なアプローチ、もう一方は子どもに寄り添い交流しながらも結果として同じくご飯だけで終わるアプローチです。
結果的には両方とも子どもはご飯だけしか食べませんが、子どもの心の動きはまったく違います。後者では保育者とのやりとりがあり、子どもは「認められた」という感覚を持つことができます。
「やりとりのプロセスが私はすごく大事だという風に思うわけです」と川田先生は強調します。
主体性を尊重する保育とは
川田先生はまとめとして、主体性を尊重する保育とは「子どもと人・もの・こと・自分自身とのつながりを応援すること」だと説明します。一人ひとりのつながりが個性的であり、個性はつながりの中にあるのです。
保育者の提案が子どもの主体性を奪うという考え方もありますが、重要なのは提案が「抽象的か具体的か」だと川田先生は指摘します。具体的とは「物事とのつながりが見える」こと、抽象的とは「物事とのつながりが切れている」ことを意味します。
保育者の提案する活動が子どもたちの日頃の経験や知識とつながりを持つものであれば、子どもはそれを自分のものとして取り入れることができます。一方、そのつながりが見えない場合は、ただ「やらされている活動」になってしまいます。
「設定保育が自由か設定かではなくて、抽象的か具体的かというところが大事なポイントなんではないかと思います」
こうした考え方は、保育者自身の実践にも深い示唆を与えます。子どもの主体性を支えるためには、保育者自身も開かれた関係性の中で実践を積み重ねていくことが大切です。保育者間の対話や協力があってこそ、子どもたちとの豊かな関係づくりも可能になるのではないでしょうか。
おわりに
今回の川田先生の講座は、「主体性」という言葉を単なる理念や標語としてではなく、日々の保育実践の中で具体的にどう考え、どう関わっていくかという視点を提供してくれました。
主体性は子どもの中にある能力ではなく、周囲との関係性の中にあるもの。この視点を持つことで、0歳児から5歳児まで、すべての子どもたちの主体性を尊重する保育が可能になるのではないでしょうか。
子どもの主体性を大切にするとは、子どもを「放任する」ことでも、「自分だけで決めさせる」ことでもありません。子どもと周囲との豊かな関係性を育み、そのつながりを応援していくことこそが、真の意味で主体性を尊重する保育と言えるのでしょう。
この記事では川田先生の講座内容の一部しかお伝えできませんでしたが、実際の講座内では文化による保育実践の違いや、保育者自身の職場での関係性など、さらに多くの示唆に富む内容が語られていました。より深く学びたい方は、ぜひ見逃し配信などで本編をご覧いただければと思います。※第2回以降からお申し込みの方には、記録映像を配信いたします。
次の第2回講座では環境の側面から、第3回は行事という側面から、さらに「つながりの保育的発達論」を掘り下げていく予定です。受講のお申し込みは下記より受け付けています。

小学館せんせいゼミナールの今回の連続オンライン講座では、保育界で注目されている研究者・川田学先生に登壇いただき、その「主体性=関係論」のあらましを直接学ぶとともに、「子どもが関係を生きている」とはどういうことか、そしてそこから見えてくる子どもの姿、「保育」のあり方を考えます。
川田先生ご本人にわかりやすく持論を解説していただく貴重な講座となります。保育を深めたい保育者の皆さま、そして低学年担任の小学校の先生や保護者の方も、ぜひご参加ください。
【対象】
保育士、幼稚園教諭、小学校教諭、保護者のほか、子育てに関心のあるどなたでもご参加いただけます。
【開催日時・テーマ】
第1回 3月10日(月) 19:00~20:30 ※終了しました。動画でのご視聴になります。
「主体性」とは個人の能力なのでしょうか?(「主体性=関係論」とは)
第2回 4月14日(月) 19:00~20:30
その環境は「生きて」いますか?(関係を豊かにするためのモノ的環境論)
第3回 5月19日(月) 19:00~20:30
行事ってなくてもいいですか?(関係を豊かにするためのコト的環境論)
※各回とも約2週間の見逃し配信付きです。
【個人受講料】全3回セット7,500円(税込)/1名
【団体受講料】全3回セット19,800円(税込)/1園
※スケジュールや内容につきましては変更になる場合もありますのでご了承ください。
※講座の詳細は申込ページにてご確認ください。
※本記事の作成にはAIを利用しました。