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『「もしかして」~「やりたい」がおもしろい』第61回「わたしの保育記録」佳作

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

鶴見大学短期大学部保育科教授

天野珠路

第61回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。
(表記は基本的に応募作品のままです)

作った田んぼに苗を植える子どもたち。

〈3・4・5歳児クラス部門〉
「もしかして」~「やりたい」がおもしろい
佐々木寿美
社会福祉法人つわの清流会 直地保育園(島根・津和野町)

桜の花びらが散り、鯉のぼりがあがった頃。三・四歳児クラスの子どもたちは、毎年恒例である地域の田植え体験に行った。なかには田んぼに入らない子もいたが、保育者と一緒に入った子どもたちは「きゃーきゃー!」と笑いながら泥の感触を全身で味わった。

足元をよく見ると、小さなおたまじゃくしがたくさんいることに気がついた。子どもたちは、「かわいい~!」と言って手で掬い、ビニール袋に入れ始めた。私はおたまじゃくしを飼い、育ててカエルになるまでの成長を見る流れになるだろうと思っていた。

園に帰り、「このおたまじゃくしどうする?」と問いかけてみた。すると四歳児Nが、「おたまじゃくしちゃんのお家は田んぼだったよ。保育園に田んぼを作ろう!」と言い、場所を探し始めた。他児も加わり、話し合いが始まる。検討の結果、園庭にあったどろんこスペースを田んぼにすることに決めた。早速、どろんこスペースの土の感触を田んぼの感触に変える遊びが始まった。地域の田んぼには入れなかった子も、ここではどろんこになって手や足で泥の感触を確かめながら調整していく姿が見られた。納得のいく土ができあがると、「苗はどうしようか?」と案を巡らせ、職員の自宅で余っていたものを頂いて植えることにした。こうしておたまじゃくしのお家が完成した。

この年度は五歳児がいなかったため、保育者の仕掛けが多く必要だろうと思っていたが、「おたまじゃくしのお家を作りたい」と思って動き出し、自分たちなりに考えて試行錯誤する過程を見て、子ども同士での協働的な姿、仲間と遊びを作っていく姿が見られ始めていることに気がついた。

次の日、おたまじゃくしをお家(田んぼ)へ入れようとしたところ、田んぼには水がなくなっていた。この田んぼの欠点は、すぐに水がしみ込んでしまうこと。図鑑で調べると、おたまじゃくしは水がないと生きられない。「どうする?」子どもたちの考えは一択だった。「水がなくならないように、水を入れ続けるしかない!」この日から子どもたちは毎日、朝も晩も水を入れ続けた。「でも、入れても、入れても水がなくなる!」この課題に対してどのように解決しようとするのか子どもたちに任せてみることにした。
 
その頃、おたまじゃくしはというと、水槽の仮設住宅にいた。観察をする中で、名前をつける子もいた。「おたまじゃくしかわいいなちゃん。」子どもの気持ちが伝わってくる素敵な名前だと思った。

仮設住宅生活が長くなると、他のクラスの子も興味を持つようになり、一歳児Fが昨年収穫して展示しておいたお米を水槽に入れてしまった。保育者も予想外の出来事であったが、なんと、水槽の中でお米から芽が出てきた。何日か経つと、仮設住宅の中も田んぼのようなり、それを見た子どもたちは「じゃあ、この水槽ごと田んぼに入れたらいいじゃん!」「やってみよう!」と田んぼに穴を掘り、水槽ごと田んぼに入れた。水がなくなってしまうことは解決できなかったが、子どもたちの納得のいく形でおたまじゃくしの引っ越しが完了した。田んぼの家に住ませてあげたいと思う気持ちと、生き続けて欲しいという願いが叶った瞬間だった。

それからも、おたまじゃくしが死なないように毎日水を入れ続けた。朝、登園したら入れ、降園前に入れる、が日課となっていった。お米を水槽に入れた一歳児Fの行動を見て、「これは食べないよ。」などと言って水槽から排除していたら、このような面白い展開にはならなかった。子どもの行動を否定せず、「どうなるのかな?」「どうするのかな?」と観察し、子どもの考えを尊重して保育を展開していくと、保育者も新たな発見に出会える。

田んぼに毎日水を入れ続ける様子。

おたまじゃくしに足が生え手が生えてきた。すると、かわいいとは言わなくなった子どもたち。しかし、「本当にカエルになってきた!」と成長を感じ感動する姿も見られていた。おたまじゃくしの成長に目を向けていると、子どもたちは苗の変化にも気がついた。「なんか苗、めっちゃ伸びてる~!」保育者も本当に育つかは半信半疑だったのだが、水を入れ続けたことで苗も成長してきた。こうなってくると(もしかしてお米ができるんじゃない?)と私は、お米への期待も膨らんできた。子どもたちも「お米ができたらおにぎりにして食べたいね。」と話しており、ワクワクしていることが伝わった。

それからしばらくすると、おたまじゃくしはカエルになってお家から出ていってしまった。この頃、園庭にはたくさんのカエルがおり、子どもが走るとカエルも跳んだ。どれが「おたまじゃくしかわいいなちゃん」かはわからなかったが、園庭全体がカエルのお家になったようだった。

田んぼのおたまじゃくしがいなくなると、子どもたちの興味は一気にお米へ向いた。

八月下旬、水遊びをしていた三歳児Mが、「なんか、緑の粒々がついてるよ。」とみんなに呼びかけ、私も子どもたちも見に行った。お米作りをするのは初めてだった私は(お米ってこんなふうにできるんだな~)と思った。

九月下旬、緑だった粒々が茶色へと変化し、稲穂が垂れ下がってきた。そろそろかな?と待ち遠しい子どもたちと私は、少しだけハサミで切って中身を覗いてみた。「お米、できてる!」「切って取ろう!」と次々にハサミを持ち寄り、切って収穫をした。

実った稲穂を収穫する姿
実った稲穂を収穫する姿。

収穫をしたら次は脱穀である。これも子どもにとってはプチプチとした感触が楽しい遊びとなり、特に三歳児Ⅿと二歳児Rは手のひらが赤くなるほど夢中になっていた。四歳児Hは稲の茎を持ち、「これって藁みたいじゃん!これってどうするん?」と聞いてきた。私はHが何を思っているのか知りたくて「どうしよっか?」と聞いてみた。すると「これでお家を建てたい!」と。私は面白い発想だなと思い、「やってみる?」と伝え、Hのやってみたい気持ちを応援しようと思った。そうと決まれば、早速藁を持って園庭に出る。すると、藁から手を離した途端、強風で藁が飛んでいってしまった。急いで回収すると、「飛ばないようにレンガと木と藁の家を建てよう!」と三・四歳児六人がお家づくりを始めた。協力して材料を運んでくると、木を釘で打って固定し、レンガで支えた。藁は屋根に使ったが足りなかったため、地域の方にお願いし、譲って頂いた。トンカチや電動ドライバーも使い、数日かけて藁のお家を完成させた。「できた!」という、目的を達成した時の表情は本当に嬉しそうだった。「藁でお家を作りたい」という発想を保育者が「面白い」と思うかどうかで、子どもの遊びは変わってくる。子どもたちにとって充実した日々を過ごすためには、子どもの意見に耳を傾け、想いや考えを引き出し、失敗してもいいと思って応援していく関わりがとても大事だと思っている。

藁の屋根を作る
藁の屋根を作る。

その頃、脱穀したお米はというと精米中。精米の仕方を絵本で調べ、実際にやってみた。すり鉢に入れて野球ボールでコロコロする方法。コロコロすると中から茶色い米がでてきた。「これはお米じゃないんじゃない?」いつも食べている白い米とは違う様子を見て不思議に思う子もいた。細い容器にお米を入れ、棒でサクサクするやり方も試してみた。「白くなあれ!白くなあれ!」と思いを込めてやり続けること四か月。疲れも見え始めた頃、ついに精米も完了した。お米を洗って鍋に入れ、火をつけ待つこと二十分。子どもたちは火の側につきっきりで鍋から離れない。ワクワク、ドキドキに満ちていた。そして、炊きあがって鍋の蓋を開けると、白い湯気が立ちあがった!子どもたちは「うわ~!」と笑顔があふれ、自然と拍手が起こった。炊きあがったお米は自分たちでおにぎりを握って食べた。その味は子どもたちにとっても私にとっても格別で特別だった。「おにぎり美味しいね!また田んぼ作りたいね。」と目を輝かせながら言っていた。(感動ってこういうことなんだな)と幸せを感じた瞬間だった。

湯気が立ち上り、お米が炊きあがると、笑顔と拍手がこぼれた子どもたち。
湯気が立ち上り、お米が炊きあがると、笑顔と拍手がこぼれた子どもたち。

おたまじゃくしを見つけたところから始まったこの遊びは、子どもたちの興味から、探究心や好奇心によって発展していった。「もしかして田んぼ作れるんじゃない?」「もしかしてお米できるんじゃない?」「もしかして藁のお家建てられるんじゃない?」「もしかしておにぎり食べられるんじゃない?」この、「もしかして」から始まる子どもたちなりの探究を通して主体性や柔軟性、最後までやり抜く力を育んでいった。

一人の想いに耳を傾け、やってみるうちに、その他の子も興味をもって一緒にやってみる。うまくいくかはわからない、でもやってみたい。やってみてうまくいかなかったら、またどうすればいいか考えればいい。仲間と一緒に探究する中で自分の意見も言い、相手の思いも聞き、折り合いをつけて遊ぶ姿も見られるようになった。自分たちのやりたいことに夢中になって遊びこむことこそ、育ちの芽であると感じる。

子どもたちの想いを叶える保育をしてきて思うことは「やりたい」という自発的な想いこそ、遊びを深め、広げていくということ。「やりたい」から始まる子どもたちのやる気にはいつも驚かされ、子どもだからこそ生まれる発想には「そうきたか!」とワクワクさせられている自分がいる。だから保育は楽しいし、何より子どもたちと過ごす時間に幸せを感じる。

私は毎日、子どもたちからどんな、「やりたい」がでてくるのか、楽しみにしている。

受賞の言葉

佐々木寿美

この度はこのような賞をいただき、心より感謝申し上げます。私はこれまで、子どもたち一人ひとりの「やってみたい」「やりたい」という気持ちを大切にし、思いを形にしていく保育をさまざまな立場で携わってきました。子どもたちが自ら行動し、仲間と意見を出し合い、遊びを作り上げていく過程には体の中から湧き出る力があることを感じています。そして今、地域では少子高齢化が進み、子どもの数が減っています。この環境だからこそ、一人ひとりの育ちを丁寧に支えることがますます大切になると感じています。これからも子どもたちと向き合う日々を積み重ねていきたいと思います。

講評

審査員
天野珠路(鶴見大学短期大学部教授)

島根の自然豊かな保育園で、「もしかして」とつぶやく子どもたちの気づきや好奇心がどんどん触発され、思いがけない保育の展開を呼び込みます。地域の田植え体験で泥の感触を味わいながら、そこで見つけたオタマジャクシが新米の炊き立ておにぎりにつながるとは、だれが予想したでしょう。「もしかして」から始まる子どもの探求が、子どもたちの「やりたい」気持ちの高まりとともに、季節をまたいで実現していく様子が具体的に描かれています。

オタマジャクシを「飼う」のではなく、オタマジャクシがすむ「家」(田んぼ)を園庭に作ろうという発想や、「仮設住宅」である水槽に1歳児が投げ入れた籾(もみ)から芽が出て成長し、その苗ごと園庭に「引っ越し」する様子に驚かされます。園庭にできた家(田んぼ)で成長したオタマジャクシは無事カエルになって飛び出していきました。さらに、そこから稲の収穫、脱穀、精米と時間をかけて取り組み、途中、手にしたワラで「家」を作ろうと試行錯誤します(子どもたちは家づくりが好きですね)。そして、みんなで手がけた米を炊き、おにぎりを作ってその特別な味わいに歓喜するのです。 春から実りの秋へ、子どもの「もしかして、できるかも」「やってみたい」を尊重し、そこに寄り添い、ともに考え、ともに驚いたり楽しんだりする保育士の存在があってこそ、子どもたちの世界は広がり、深まっていくのでしょう。保育は生もの、大人の予想や思惑を悠々と跳び越えていってほしいものです。

写真提供/直地保育園

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