葉っぱソムリエの研究 〜第55回「わたしの保育記録」佳作~

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

第55回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。

(一般部門)
葉っぱソムリエの研究
ひまわりこども園(群馬・前橋市) 髙倉 碧

葉っぱの見方が変わった瞬間

年長に進級したある日のこと、子どもたちは読み聞かせで『ばばばあちゃんのアイス・パーティ』の絵本を見た。その中で製氷皿に葉っぱを入れて凍らせている場面があった。それを見たT君が「今度ママとおうちで作ってみよう」とボソッとつぶやいた。

「じゃあ今度ぞう組(年長クラス名)で作ってみようか」
と私が何気なく返したことがきっかけになり、「葉っぱ」というものの見方がこれ以降子どもたちの中で目まぐるしく変わっていくことになる。

ここにもあった! 

草花に詳しい担任にその話をすると、家にある野草図鑑を持って来てくれた。翌日T君と一緒にその図鑑を見ていると、「食べられる葉っぱってこんなにあるんだね」とページをめくりながら言っていた。

私から見てT君は図鑑をめくる度に葉っぱへの興味を深めているように感じた。その日の外遊びの時間、T君はその図鑑を片手に飛び出し、園庭に生えている「食べられる葉っぱ」を探し始めた。

「ここにもあった!」
そこへ気がつくと同じクラスの女の子2人が加わって一緒に探し始めていた。

葉っぱを口にしてみたら…

図鑑にはたんぽぽの茎から出る白い汁は食べられるという記述があった。そのことを図鑑から学んだT君と女の子2人は実際に園庭に生えていたたんぽぽを摘んで水で洗って口にしてみた。

「苦!!」
「うぇっ! まずーい!」
と友達と笑いあっていた。

次に見つけたのがカタバミの葉だった。同じように口にしてみると、予想以上の酸味に顔をしかめていた。同じような葉っぱでも苦いものや酸っぱいものがあることを見つけて子どもたちはおもしろがっていた。

葉っぱとにらめっこ 

図鑑には沢山の種類の野草が載っていたがこの日、園庭にあった食べられる葉っぱは「たんぽぽ」と「カタバミ」しか見つけることができなかった。図鑑に載っていた葉っぱを実際に見つけた子どもたちの表情はとてもうれしそうだった。

するとその様子を見た友達たちも何人か集まって来た。「ここにもあったよ!」「あっちにもあったよ!」と、気づけばT君だけでなくクラス全体で「食べられる葉っぱ」探しに夢中になっていった。

なんだこれー!

いよいよ製氷皿にたんぽぽの茎や花、カタバミを入れて凍らせてみることにした。T 君だけでなく数人の子が集まり、「明日楽しみだね!」と葉っぱ氷の完成を心待ちにしていた。

このとき私はひとりの興味がまわりの友達の興味を引き、気づけばT君ひとりだけの楽しみではなく、みんなの楽しみに変わっていることに気づいた。

さらに庭で子どもたちと一緒に食べられる葉っぱを探し、口にするといった今までにない光景は新鮮だったらしく、ほかの保育者の間でも話題に上がっていたようだった。子どもたちの食べられる葉っぱへの興味関心は園全体の興味関心へと広がりを見せていった。

 翌日、凍らせた氷を「早く冷凍庫から出そうよ! 」と何人もの子どもたちに声をかけられた。冷凍庫から製氷皿を出すと摘んだ当時の姿ではなく、しおれて黒ずんだたんぽぽの花や茎、カタバミの葉が凍っていた。 

「ばばばあちゃん」の絵本をまねて初めて作った葉っぱ氷。たんぽぽ(花・茎)とカタバミを凍らせた。

子どもたちに凍った氷を見せると「きれーい! 」「早く食べたい!」と初めて作った葉っぱ氷に胸を躍らせていた。それを見た私も実際に口にしたらどんな味がするのかとワクワクしていた。

さまざまな反応を見せながら口の中に葉っぱ氷を入れた子どもたちは、
「なんだこれー! 」
「うぇっ! まずー! 」
「苦い! 苦い! 苦い!」
とクラスの中は大騒ぎ。もちろん子ども達と一緒に氷を口に含んだ大人も大騒ぎ。

想像していた味と全く違ったことに素直な反応を見せた子どもたちを見ていると思わずくすっと笑ってしまう。あまりのまずさと強烈な苦みに口をゆすいだり吐き出したりする子が続出する中「葉っぱ氷はおいしくない」という経験ができたことで、 「子ども達も満足したのかなぁ…」とそんなふうに感じていたとき、T君が私の元へ来て「ねぇ、今度はまた別の葉っぱで作ってみようよ。そしたらおいしい葉っぱ氷ができるかもしれない」と言った。

その言葉を聞いて私は驚いた。「おいしくなかった」という経験をしたからこそ、また別の方法を試してみたい、おいしい氷を作ってみたいという気持ちがT君に芽生えたことが私はとてもうれしかった。

形勢逆転

その後も別の葉っぱを使って葉っぱ氷づくりを試したが、結局おいしい葉っぱ氷はできず、T君をはじめクラスの子どもたちも少しずつ葉っぱに対する興味や熱量が薄くなってきているように感じた。私はT 君の言動から発想の豊かさや、興味関心の持ち方におもしろさを感じ、同時にいろいろな気づきをT君は私たちに教えてくれたので、ここで終えてしまうのはもったいないと感じた。葉っぱに対する興味関心を「また引き出せないかな…」と悩む日が続いた。

そんなときにAちゃんと一緒に見ていた野草図鑑の片隅に載っていた「たんぽぽ茶」に目が留まった私が「たんぽぽでお茶が作れるんだね…」と何気なくつぶやいた言葉に興味を持ったAちゃんが「作ってみたい!」と反応してくれた。そのとき「たんぽぽの茎でお茶が作れるということにT君はおもしろがってくれるかもしれない」と思った私は、T君にもたんぽぽ茶のページを見せた。

するとT君は「作りたい! やりたい! 」と予想通り興味を示してくれた。そこでクラスのみんなで「食べられる葉っぱ」を探しに散歩に出かけることにした。

あぜ道でたんぽぽを見つけると、私とT君とAちゃんは手を真っ黒にして掘った。たんぽぽの根っこは予想以上に深く、うまく掘ることができず時間はかかったが、ようやく3本のたんぽぽの根っこを園に持ち帰ることができた。それを丁寧に水道で洗い、図鑑の通りに風通しのよい場所で数日間乾燥させた。

忘れられないたんぽぽ茶

しばらく乾燥させたたんぽぽの根がちょうどよい頃合いになったので、子どもたちに声をかけたんぽぽ茶を作ってみることにした。

根を包丁で切り、鍋に張った水に根をどんどん入れていく。切った根を見て「なんかごぼうみたいだね」と話す子どもたちを見ていると、ほかのクラスが今までやらなかったことをする特別感や、本当に飲めるお茶ができるのかという期待感を持っているように見えた。

鍋でお湯を沸かし、たんぽぽの茎を入れ蒸らしてからクラスのみんなで試飲してみた。

「蒸らすから少し待ってから飲もうね」と声をかけたあとのひとコマ。時間をかけて色づいていく過程をじっと見つめ楽しんでいた。

「早く飲みたい!」
「いっぱい入れて!」
と子どもたちの期待感は最高潮! 香りを嗅いだりしながらいざコップに入れたお茶を一口飲んでみると、
「うげぇ! まっず!」「にがーい!」
「…もういらない」
とこれまた想像を絶する苦みと渋みに悶絶(もんぜつ)する子どもたち。大人が飲んでも顔をしかめたくなる苦みだった。 

初めて自分たちで作ったたんぽぽ茶を飲んだ子どもたち。一気に口に含んだが想像した味と違ったようだ。

もちろんT君をはじめ、たんぽぽ茶に関心があった子どもたちからも「おいしくない…」と酷評をもらったたんぽぽ茶。子どもたちにとって「お茶=おいしい」という概念を覆す経験となった。その翌日から誰からも「お茶を作ろう!」という声は一切聞こえなくなってしまった。

ところが数日たったある日、T君から
「また葉っぱでお茶作ってみようよ」
と私は声をかけられた。
「この間のたんぽぽ茶また作るの?」
と返すと
「ううん、今度はカタバミで作ってみたい! だってカタバミは食べると酸っぱくておいしいから。たんぽぽは氷も白いところも苦かったからまずいお茶ができたんだよ」。

そう言われたときに、T君がこの間のたんぽぽ茶で味わった苦い経験を彼なりにふりかえる中で、言葉には出さなかったものの「おいしいお茶を作るにはどうしたらよいのか」を考えていたのだと思った。T君の言葉から彼自身が解決策を見つけたのだなと私は悟った。5歳児でここまで考えられることに私自身とても驚いたし、やはり彼の発想はとてもおもしろいと感じた。

T君と一緒にカタバミ茶を作って恐る恐る口をつけて飲んでみると「おいしい!」とT君の表情が一気に晴れやかになった。一緒に作ったお茶の味は薄かったが、スッキリとしていて飲みやすいお茶だった。

T君にとって「おいしいお茶ができた」という経験はまたここからお茶作りに夢中になるきっかけとなった。

お茶ブーム襲来 

T 君のお茶に対する姿にまた興味を持ったクラスの子どもたちが徐々に増えてきたこともあり、散歩や園外保育で採取してきたヨモギ・ドクダミ・オオバコなどを使ってお茶を作り飲むことを楽しんだ。

いろいろな葉っぱを使って作っても、おいしくないものが大半だったため「いらない」という子も出始めていたが、T君は以前の氷作りのときのように途中で飽きてしまうことはなく、お茶作りを楽しみ、保育者やほかのクラスの子にふるまったり、散歩のときに見かける葉っぱの名前や特徴がわかるようになったりとさらに興味を深めていった。

T君がみんなにもたらした変化

T君の「やってみたい」という小さな言葉の種は、本や自然、保育者や友達といったさまざまな媒体から刺激を受けて大きく育っていき、やがてクラス全体の「やってみたい」へと姿を変えていった。

私自身の変化として、友達と一緒に苦い経験や楽しい経験を重ねていく子どもたちの表情はとても豊かで、それ以降いろいろな「やってみたい」に気づくようになった。それは「葉っぱ氷作り」や「お茶作り」を楽しむ子どもたちが、私自身の子どもを見る視点や言葉の拾い方も変えてくれたからではないかと思う。

この経験を通じて子どもたちの傍らにある「遊び」の中には無限の広がりと無数の学びが隠れていることを知った。

※表記は基本的に応募作品のままです。

受賞のことば

ひまわりこども園(群馬・前橋市) 髙倉 碧

葉っぱソムリエの研究はその後も続いて、2019年10月には子どもたちが1時間かけて同じクラスの友達の家まで歩いて行きました。そこで柿の葉・ザクロ・キンモクセイなどの木の実やハーブを集め、お茶を作ったりして子どもたちはさらに興味を深めたようです。

ひとりの「やってみたい」という発信がみんなの「やってみたい」に変わり、豊かな活動へと変化していった過程を文章化してみたいと思ったのが応募の動機です。まさか佳作に入選するとは思っていませんでしたが、受賞を通して子どもたちの取り組みを知ってもらう機会になりとてもうれしいです。

これからも子どもたちの「気づき」に寄り添いながら、一緒に過ごす時間を豊かなものにしていきたいと思っています。

講評

鶴見大学短期大学部 天野珠路

絵本をきっかけに、葉っぱへの興味を広げ、関心を高めていく様子が生き生きと描かれています。特にひとりの子どもの「やってみたい」という気持ちがクラス全体に波及し、今までやったことがないことに挑戦する「特別感」を共有していく過程がわかります。

「食べられる葉っぱ」を探し、そのまま口にしたり、「葉っぱ氷」にして食べたり、煮詰めたり炒いったりしながらお茶にして飲んだりする「葉っぱソムリエ」たちの奮闘は、自然への探究といえるでしょう。それは想像を絶する苦さやまずさの連続でしたが、おいしいもの、心地よいものだけに囲まれているだけでは得られない実感が子どもたちの次の行動や考えを生み出しました。

その様子を見守りながら共感し、ときにきっかけを与えてともに探究した保育者の立ち位置や子どもへの信頼感が伝わってくる作品です。

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