「どっちが大事?~カマキリとの出会いから~」 第59回「わたしの保育記録」佳作

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

鶴見大学短期大学部保育科教授

天野珠路

第59回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。
(表記は基本的に応募作品のままです)

飼育ケースに入れて自分たちで育てているカマキリ

【一般部門】
どっちが大事?~カマキリとの出会いから~
泉 未来
陽だまりの丘保育園 (東京・中野区)


3.4.5歳児の異年齢保育を行っている当園のかぜグループは、4月から虫探しに興味を持っている。東京の中野区という都心にありながら、園庭にはたくさんの桜の木が葉を茂らせており、子どもたちは、ダンゴ虫・アゲハ蝶の幼虫・ツマグロヒョウモンの幼虫など園庭にいる虫を捕まえては、お部屋に置いてある飼育ケースに入れて自分たちで育てている。虫が好きな4歳児のYくんは、それぞれの虫が食べるものを図鑑で見たり、保護者に聞いたりし、えさをあげることも欠かさずに、世話をしていた。5歳児のKくんや周りの友だちも、Yくんの姿を見て、ダンゴ虫のためには落ち葉、アゲハの幼虫にはみかんの葉など、えさが少なくなっていると、園庭から探してきてあげていた。

7月になり、夏が近付き、蝉が鳴き始めた。もちろん、子どもたちは、虫取り網の争奪戦。日中も夕方も、園庭に出ると、蝉を捕まえようとする毎日が続いた。虫博士の5歳児のTくんが
「蝉は、7日間しか生きないから、捕まえても、逃がしてあげないといけないよ。」
と話すと、その約束を周りの友だちは守り、園庭にいる間は、虫かごに入れて観察するものの、自分たちが入室する頃には、逃がしていた。

蝉を捕まえようとする

そんな中、8月の上旬。Yくんが、知り合いから大カマキリを貰い、保育園に持って来てくれた。かぜグループの子どもたちは大喜びし、
「かっこいいねー。」
「大きいねー、顔がかっこいいよね。」
と、カマキリの様子をじっと観察する日が続いた。Yくんは当然、カマキリの飼育方法を理解していて、
「カマキリは、生きている虫で蝉やバッタ・あとは蝶々を食べるよ。」
と教えてくれた。すると子どもたちは、カマキリのために、虫を捕まえに行った。園庭にいる虫と言えば、蝉だ。今までは、7日間しか生きないからと逃がしていたのに、上手に捕まえると、すぐにカマキリが入っている飼育ケースに入れていた。

セミを食べたカマキリを覗いている

次の日、子どもたちは登園するとカマキリの飼育ケースを覗いている。すると、入れられた蝉は、羽はボロボロになり、顔は食べられていた。子どもたちは、その姿を見て、
「カマキリ、蝉食べたんだねー!」
「わぁ、本当だ。蝉のお顔、なくなっちゃってる。」
「カマキリさん、死ななくてよかったねー。」と、自分たちがカマキリのために入れた蝉を食べたことを喜ぶ姿があった。ただ、私たち大人は、カマキリのために命のある蝉をあげることに疑問を持つようになった。つい先日までは、7日間しか生きない蝉を思い、捕まえても逃がしていたのに・・・。子どもたちの思いのまま、蝉を取り続けていいのだろうか。担任とも話したが、ここでは答えが出なかった。子どもたちの思いは、“カマキリの命を絶えさせない”ということのように感じた。

次の日も、園庭に出ると、カマキリのために蝉を捕まえている。その日、捕まえたのは、アブラ蝉とミンミン蝉だった。子どもたちの中から、
「カマキリはアブラ蝉とミンミン蝉のどちらが好きなのかな?」
「同じ蝉でも味が違うのかな?」
「先に食べた方が好きなのかもね!」
「いっぱい食べた方が好きなのかも!」
と、蝉の食べ比べについて話している。子どもたちならではの斬新な発想ではあるなと思いつつ、このままで良いのか、悩み続けた。カマキリを死なせたくはないという気持ちも分かる。

2匹の蝉を入れた次の日。2匹の蝉は死んでしまい、カマキリは食べようとしなかった。Yくんが言っていた通り、死んでしまった虫は食べないのか。連日、子どもたちは蝉を捕まえようとするため、大人の思いを伝えてみた。
「みんな、カマキリさんが大切なのはすごく分かる。だけど、蝉さんは?蝉さんは、7日間しか生きられないのに、食べられちゃっていいのかな?」
すると、
「蝉もかわいそう。」
と、保育士と同じ思いが返ってきた。
「じゃあ、どうする?」
と質問をしてみた。するとYくんが、
「カマキリはソーセージと昆虫ゼリーも食べるよ。」
と、教えてくれた。次の日に保育士が家からソーセージを持ってくる約束をしてお集まりを終えると、子どもたちはすぐに園庭に行き、カマキリのために蝉を捕まえていた。蝉が可哀想だと話していたけれど、私の思いは届かなかったようだ。蝉は園庭に沢山いる。蝉1匹の命の重さは、子どもたちにはうまく伝わらなかったのだろう。大カマキリは、この園庭にはいない。

翌日、ソーセージをあげてみるも、2日間食べず、昆虫ゼリーを新たに入れた。カマキリが飼育ケースの蓋にくっついていることから、紐を使い、カマキリが食べやすいように昆虫ゼリーをぶらさげるなどの提案をしてくれる子もいた。しかし、子どもたちの願いは届かず、カマキリは何も口にする事は無かった。

お集まりで、5歳児のBちゃんが、
「カマキリが食べそうな虫は、草が生えているところにいるって。あとは、ヨーグルトも食べるんだって。」
と、発表してくれた。その情報から、近くの公園に虫を取りに行く事になった。蝉の鳴き声が聞こえ、トンボが飛んでいるものの、何も捕まえられず、泣く泣く帰ろうとした時、木に蝉が止まっているところを発見。ようやく虫を捕まえる事が出来た。私は、不覚にも、蝉を捕まえたことを子どもたちと喜んでしまった。

散歩から帰り、カマキリの飼育ケースに蝉を入れる。子どもたちもその様子をじっと見ている。しかし、蝉に気付かないのか、カマキリも動かなかった。子どもたちは、給食が終わり、昼寝になった。すると、保育室に蝉の鳴き声が響いた。担任と共に見に行くと、カマキリが蝉を捕まえ食べていた。カマキリが蝉をほおばると、蝉も鳴き続ける。その姿を、子どもたちに見せたいと思った。子どもたちは昼寝中のため、すぐにiPadで録画した。しかし、あまりにも残酷な姿に、この録画を子どもたちに見せても良いのか担任と悩んだ。ただ、子どもたちに命の大切さ、比べられる命はあるのか、考える機会になると思い、見せることにした。

夕方のお集まりで4・5歳児に見せた。すると、悲痛な面持ちで、iPadの画面を見続けていた。担任から、
「どう思った?」
と質問されると、
「蝉が可哀想だった・・・。」
「蝉のたましいが抜けて、泣いているように見えた。」
「カマキリが食べているところが恐かった。」
「なんか、生きている虫が食べられることも可哀想なんだけど、何も食べられないカマキリも可哀想だと思う。」
と、子どもたちの率直な思いを発表してくれた。虫好きのYくんは、
「今回は、固い所も食べていたね。すごくお腹がすいていたのかもね。」
と冷静に話していた。Yくんは、自然の摂理を知っているのだ。

次の日、カマキリの飼育をどうしていくのか話し合った。ソーセージやヨーグルトをあげようと意見が出るだけではなく、
「カマキリが見えるように、ソーセージもぶらさげよう。」
「じゃあさ、蝉と同じぐらいの大きさにしようよ。」
「ライトを照らしておくのも良いかも。」
「ここですよって看板つける?」
など、色々な意見が出た。すぐにソーセージをぶら下げると、じっと観察している。蓋にぶら下げたソーセージが揺れていることもあり、保育士が、
「ソーセージが動いているから、カマキリが近くに来てるのかな?」
と話すと、傍で観察していたYくんは、すぐに揺らし始め、
「ミーンミンミン、ミーンミンミンミン。」
と、蝉の鳴き真似を始めた。カマキリは食べずにいたが、ソーセージの周りをウロウロするのだった。

カマキリのえさのソーセージ

保育をする中で、大人の思いや考えを伝えることは必要だ。しかし、思いを伝えるだけではなく、子どもたち自身が体験し感じることが、より彼らたちの成長には重要なのではないか。私たち大人は、教えることよりも、子どもたちが体験し、感じたり考えたりする機会を作っていくことが大切だ。この事例を、子どもたちと進めている際は私自身も気付かなかったが、ソーセージを与えることは、命を頂いていることにはならないのかと振り返った。命を頂くことの矛盾も含め、大人も子どもと共に感じて考えていく“共感する保育”を進めていきたい。

受賞のことば

泉 未来

泉未来さん

このたびは、賞に選んでいただきありがとうございました。喜びと驚きでいっぱいです。

今回の事例では、子どもたちの気持ちもわかる、しかし保育士としてこれでよいのか、どのように伝えれば響くのかすごく悩んだ出来事でした。しかし、振り返ると、担任と悩んだ時間も、とてもワクワクしていたし毎日が楽しくもありました。

このような保育を進めていけるのも、子どもの成長を一緒に喜べる先生たち、保育を見守ってくれる保護者の方々の協力があってこそのことだと思います。

これからも、子どもとともに感じる保育を進めていけるよう努力していきたいと思います。

ありがとうございました。

講評

審査員
天野珠路(鶴見大学短期大学部保育科教授)

「どっちが大事? どっちも大事?

都会にあっても虫たちが生息する園庭があり、ツマグロヒョウモンの幼虫などさまざまな虫を捕まえては飼育ケースに入れて育てている子どもたちの姿はほほえましいものがあります。図鑑で調べたりエサをあげたり、夏には虫取り網を手にセミを捕まえるも「セミは7日間しか生きられないから捕まえても逃がしてあげないといけないよ」という「虫博士」Tくんの言うことを守り、捕まえたセミを逃がしていました。ところがそこに生きた虫をエサにする大カマキリが登場し、子どもたちはカマキリのためにセミを提供し続けます。
「カマキリ、セミ食べたんだね!」「セミのお顔、なくなっちゃってる!」

保育者は悩みます。あまりに残酷ではないかと。そしてその残酷な場面を録画して子どもたちに見せるのですが、ここから子どもたちも悩み考えます。「セミのたましいが抜けて泣いているように見えた」「怖かった」「(セミも)かわいそうなんだけど、何も食べられないカマキリもかわいそうだと思う」。そして、ほかにエサになるものはないか、カマキリの飼育をどうしていくか。子どもと保育者の試行錯誤は続きます。

生きものの飼育は子どもたちにさまざまな気づきをもたらします。身近な自然への興味・関心は子どもの好奇心や探求心を育んでいくことでしょう。しかし、自然界から切り離し、飼育ケースに入れることはさまざまな矛盾を生み、この事例のように生と死の痛みや苦みに直面することになります。また、飼っていた生きものが次々に死んでしまい「お墓」が増えていったり、命を大切にする気持ちが必ずしも高まっていかない現実があるかもしれません。それは全国どこの園でも多かれ少なかれ味わう悩みであり、自然とのかかわりは一筋縄ではいかない矛盾をはらんでいるといえます。この矛盾に子どもたちが向き合い、さまざまな声をあげ、対話していくことを通して、正解はないけれど考え続けていくことが大切でしょう。この園でも一足飛びに解決しようとするのではなく「命をいただくことの矛盾も含め、ともに感じ考えていく保育をこれからも進めていきたい」としています。大いに対話し議論して多様な視点、自分とは異なるさまざまな意見を聞いたり受けとめたりする経験を積んでいってほしいと思います。

写真提供/陽だまりの丘保育園

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