ある日の散歩の帰り道〜ありふれた日常の中で出会う、大事にしたいこと〜 第58回「わたしの保育記録」佳作

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

第58回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。
(表記は基本的に応募作品のままです)

(一般部門)
「ある日の散歩の帰り道〜ありふれた日常の中で出会う、大事にしたいこと〜」
上町しぜんの国保育園(東京・世田谷区) 井上亜紗美


0歳児から5歳児まで20名ほどが、ひとつの同じユニットで暮らしている私の園。保育者である大人は、0歳児と過ごすこともあれば、大きい子たちと過ごすこともあり、5つあるユニットの壁を越えていろいろな子どもたちと大人とで、毎日わちゃわちゃと過ごしている。

この日私は、『城址公園』という裏山のような城跡の公園に散歩に出かけた。メンバーは、3歳児から5歳児の9名で、『昆虫を捕まえるためのトラップを仕掛けに行く』という目的に集まった人たちだった。

公園に着くと、トラップを仕掛ける人もいれば、思い思いに探検をして遊ぶ人、落ちている木々を使ってごっこ遊びをする人、崖登りをする人など様々で、たくさん遊んで帰路に着いた。

ひびきの気持ちを明るくしたい

その、城址公園からの帰り道。5歳児のひびきが道端に座り込み、その場を動かなくなった。ひびきは自分の水筒を3歳児のゆうわに持ってもらいたかったのだが、相手のゆうわは持ちたくなかった、という、そんなやり取りの後だった。

さて、どうしよう。

先頭に居た私は、動かなくなったひびきのところへ戻ろうと方向転換をした。すると、私よりも先に、4歳児のいくちゃん、5歳児のりかちゃん、いっくん、がくたちが駆け寄る。

私「水筒持ってもらいたかったのかー。」
ひびき「だってもう重かったんだもん!!!持ちたくなかったんだもん!!!」
私「そうかー、でも、ゆうわも嫌だって言ってたしね、困っちゃったね。」
他のみんなも、ひびきの周りに、なんとなく居る。
「どうしようねぇ。」

そんなことをつぶやきながら、私もひびきの近くに居る。いっくんや、がくは、どうしたらひびきの気持ちを明るくできるのかを模索しているようで、なにやらいろいろと話しかけている。帰り道の緑道で、私たちはしばらくの間みんなで座り込んだり、街路樹を眺めたりしていた。

それなりの時間が経った頃、いっくんとがくが、何かを決めたようで、みんなに話し始めた。
いつき「みんなー、みみ、ふさいで。がくが、うた うたうって。ひびきに。」
がく「うたいたいんだけど、はずかしいから、みんなは みみ ふさいでほしい。」
いつき「はい、みみ ふさいでー!」

そう言って、いっくんは耳に手を当てる。いっくんの言葉から、なんとなく状況を理解した様子の5歳児のひかり、りかちゃん、4歳児のいくちゃん、私は、言われた通りに耳をふさぐ。

やや離れたところに居た、5歳児のうーたんと、3歳児のきょうたろう、ようたは、どうやらまだ状況が分かっていないようだ。
すると、いっくんは、もう一度説明する。
いつき「…〜〜だから、みみ ふさいで。」

すると、うーたん、きょうたろう、ようた、実習生のはるかちゃんも、真剣な面持ちで耳をふさぐ。
私「はい。いいよー!(準備できたよー)」
がく「…え〜、でもなぁ〜、やっぱ はずかしいなぁ〜」
ひかり「まぁだぁ?」

がくの行動を待ちながら、みんなはもう一度仕切り直して耳をふさぐ。
いつき「はい!いいよっ。」
でも、がくは 歌わない。
がく「やっぱり、めもつむってほしい。はずかしいから。みないで。」
いっくんを筆頭に、「わかった。」と、みんなは目をつむる。
がく「あ〜、でもやっぱりはずかしいなぁ〜」
私「…まだー?」
がく「やっぱり、かくれてほしい。みえなくなったら うたう。」
私「じゃあ、この先の いつもよくみんなが隠れるところまで行こうか。」

そこで、みんなで少し歩みを進めることになった。すると、さっきまで頑として動かなかったひびきも、ふらりと立ち上がると先頭を歩いていく。

塀のある場所に着く。ここなら隠れることができる。『よし、じゃあ、今度こそ!』と、みんなは耳に手を当て、目をぎゅっと閉じる。
がく「あー、だからさ、かくれてほしい。みえなくなってほしいから、こっちにいて。」
がくの誘導により、がくの目線に入らない場所へみんなは移動する。そしてまた、耳をふさいで目をつむる。

「…〜〜♪」

耳をふさいだ手のひらの向こう側から、歌を歌う小さな声が、少しだけ聞こえてきた。しばらくその歌を聴いたあと、誰かが、「なんだ。きめつじゃん。」とつぶやく。その言葉が嫌だったのか、今度はがくが、座り込んで動かなくなる。そんな情景を横目に、3歳児のようたもパワーの限界。もうぜったい動かない!!!と座り込む。

さすがに時間も押しており、これ以上は、いよいよ帰れなくなりそうだなと感じた私。そこで、今はひとまず帰るのが最優先、と思い、最終手段でがくとようたは抱っことおんぶで帰ることになった。私と実習生のはるかちゃんとで手分けして2人を背負い、みんなであと少しの道のりを園まで歩く。ふと見ると、その時にはもう、ひびきはさっきまでの表情とは違っていて、いつものように自分の足で歩いていた。

目に見える見える解決はなかったけれど……

座り込んだひびきの周りで、どうしようか、とその場のみんなで考えた時間は、結果的にはとても時間がかかった。それでも私がここに時間をかけたのは、こういう時こそじっくり関わろう、という思いが自分の中にあったから。大人が必要以上に介入して、スムーズに解決したり、うまくいかせようとするのではなく、この場に居合わせたみんなで向き合いたかった。

今回は、メンバーに5歳児が多かったこともあり、子どもたちがあれやこれや、ひびきの今の状況に合う解決策は何かと思いを巡らせたり、誰かの意見に耳を傾けてみたりして、大人も子どもも混ざり合って、一つの「困ったこと」に相対することができたように思う。最終的には、目に見える「解決」という形ではないにしろ、その場の空気を共有してそこに居ることそのものに、ちゃんと意味はあったように感じる。

それに、私がこの時のことを印象的に思ったのには、その、『目に見える解決をしていない』というところにもある気がしていて、『みんなでひびきのためにあれやこれや考えたから』だけでもないような気がしている。

それはいったい何なのかと考えてみると、ひびきのためにと行動していたはずが、だんだんと『どうやったら、がくが歌い始められるか』あたりに問題が少しずつシフトしていき、そこにみんなが協力しているような雰囲気にも、何かおもしろさを感じたように思う。せっかく歌ったのに、最後には「なぁんだ」と言われてしまったがくや、疲れ果てたようたを大人が背負い、『何のための時間だったのか』さえも訳分からなくなっているあたりの…曖昧さと言うのか、そういったもの。

そもそも、今日の散歩は『昆虫採集の仕掛けをしに行く』が、もともとの目的だったはずで、それなのに、この目的を達成したかしなかったか、よりも、この帰り道のあれこれの方が印象に残っていて、それがまたおもしろいなぁ、と思った。 

子どもたちと過ごす毎日は目まぐるしい。時と場合にもよるけれど、あっちこっちでケンカが起き、水がこぼれ、誰かが転んで…目が回りそうになるし、雨の日はどうしようと思うし、心も体もへとへとになって何もできない時もある。

でも、あの時そこに居合わせた人同士でなければ生まれなかった今回の出来事のように、目の前の子どもそれぞれの人間らしさみたいなものが浮かび上がってきたように感じた時、私の心も動くように思う。こうやって私たちが過ごした時間は、ただただ人と人が一緒に生きていたというその日常の延長線上にあり、決して特別なものでもない。だけどこうやって、ちゃんと私の心には残ってくる。こういう瞬間に出会える嬉しさみたいなものに、しっかり気付いて味わえる毎日であれ、と願う。

受賞のことば

上町しぜんの国保育園(東京・世田谷区) 井上亜紗美

今回、散歩の帰り道でどうにもならなくなった事例、と言えばそれまでなのですが、子どもたちと一緒にこの時間に溶け込んでみることで、こんなふうにコトが転がっていくことが時々あります。それはだいたい、大人の範疇を超えたところにあって、そんな面白さにこうやって出会えることが、保育者をしていることの特権なのかもしれないと改めて思いました。

なんだか今日は何もできなかったなぁという日もたくさんあるけれど、日々一緒に過ごしている子どもたち、一緒に日々を作っている保育園の大人たち、保護者のみなさま、今わたしのまわりにある全ての人たちと一緒に頂いた賞だなぁと実感しています。ありがとうございました。

講評

審査員
天野珠路(鶴見大学短期大学部教授)

散歩からの帰り道、座り込んで動かなくなってしまったひびき君を何とかしようと考え、歌を歌ってあげることを思いつくものの、その歌を他の人には聞かれたくないと主張するがく君。「どうやったら動くか」から「どうやったら歌い始めるか」に「問題」がシフトしますが、ようやく歌った子どもも座り込んでしまいます。真っすぐ急いで(急がせて)園に帰るのではなく、友達の気持ちに皆がその都度、一喜一憂しながら、立ち止まったり、考えたり、試行錯誤する様子に、思わずクスリと笑みがこぼれてしまいます。

「困ったこと」がたくさん起こる保育において、ともすれば保育者が解決策を提示したり、時間を気にして「まとめて」しまったりする場面があることでしょう。でも、この園の子どもと保育者は共に悩み、戸惑い、その場の雰囲気を共有しながら「でこぼこ道」や「回り道」を歩きます。子どもたち一人一人の表情や思いがじわじわと伝わり、散歩での一コマがかけがえのない共有体験になっていることがわかります。大事なことは「ありふれた日常」の中にこそ潜んでいるのでしょう。

写真提供/上町しぜんの国保育園 

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