クラステーマを大切に思い続けること~篤士くんの引っ越しを通して~第52回「わたしの保育記録」佳作~

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

第52回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。

(一般部門)
「クラステーマを大切に思い続けること」~篤士くんの引っ越しを通して~
バオバブちいさな家保育園 臼田 織絵

5歳児クラスだるまぐみ15人は、バオバブちいさな家保育園に園名が変わり、幼児まで受け入れることにした4歳児クラスてんぐぐみから入園してきた。

だるまぐみのムードメーカである篤士くんが、卒園まであと2か月という時に、お父さんの仕事の都合で引っ越すことが決まった。
だるまぐみは年度当初から、「自分の気持ちや考えをことばにして相手に伝え、相手のことばに耳も心も傾け、認め合う」というクラステーマを、ずっと大切に思い、子どもたちに伝え続けてきた。

1月4日

年末に篤士くんのお父さんの転勤が急遽決まり、2月に神戸に引っ越すことになった。年末年始の休みの間、篤士くんは家族でそのことについて話し合い「いっぱい泣いたけど決めた」と話してくれた。
今日はなかなか子どもたちも集まらず、でも篤士くんの「誰かに話したい」という気持ちも分かるし、どうしたらいいのか篤士くんと相談した。
「みんながきてから自分から言いたい」
という篤士くんの思いを聞き、その間はおとなにたくさん話して良いからねと伝えた。

1月6日

朝の時間に、友花ちゃんと篤士くんが、言い合いになったとフリーの智子さんが教えてくれた。「おれは神戸なんだ」「違うよ、あつしは私と同じ小学校なんだよ!」というやり取りだったらしい。珍しく友花ちゃんも強く言い返していて、智子さんは見守ることしか出来なかったようだ

1月8日

年末から予定していた、同じ法人の学童にだるまぐみで遊びに行った。行く前に篤士くんは「おれもこの学童だったんだよな」とつぶやいていたが、遊びに行くと、楽しい気持ちの方が上回っていたように見えたので、少し安心した。

帰りがけ学童の施設長の関内さんから
「みんなはどこの小学校にいくのかな?」という質問があった。
その時篤士くんが大きな声で「神戸の小学校!」と言った。その後すぐに「しまった…」という表情をしていたが、この時他の子どもたちは気づいてなかった。この時の篤士くんの表情をみて、これ以上我慢をさせたくないと思った。私は子どもたちに気づかれないように篤士くんに話しかけた。

「今日は13人来ているけど…」
「おれ、帰ったらみんなに言いたい」
「わかった、帰ったら時間作るから」

2人で話し、ちいさな家に帰った。帰った後、どう伝えるか2人で練習した。
「えっと、もうぼくは日本にいません」
「いや、神戸は日本だよ」
「じゃあ、みんなともう二度と会うことはないです」
「いや、会えるし、会いたいよ…」
「ん…じゃあどうしよう…」
「神戸に引っ越すことになった、でいいんじゃない?後は私が説明するよ」
「わかった」

そんなやり取りを経て、だるまの部屋にみんなで集まってもらい、篤士くんは私の隣に座った。みんなは、私も篤士くんも真剣な表情をしているのを見て、普段とは何だか違う様子だと感じているようだった。

篤士くんは大きく息を吸い話そうとするが、なかなか話し出せない。その間、子どもたちは黙ったまま篤士くんを見つめていた。やっと息を整えて、篤士くんが話をはじめた。

「おれは神戸に引っ越します。みんな遊びに来てね」

目にいっぱい涙をためながら、自分のことばで思いを伝えた篤士くんは、本当に立派だった。精一杯伝えている姿を見て、私も涙が溢れていた。
子どもたちは呆然としていた。そこで私はだるまぐみでずっと楽しんでいる、世界地図の絵本「MAPS」の日本のページを見せながら説明することにした。

「私たちが住んでいるのがここの東京で、篤士はここの神戸に引っ越すことになったの」私は涙を必死に堪えて説明した。藤井さん(だるまの保育者)も、部屋を片付けるふりをしながら涙を堪えて席を立った。

子どもたちはやっと理解したようで、はじめに友花ちゃんが大きな声で泣き崩れた。先日の篤士くんとのやり取りもあったので、点と点が線になったという感じだったのだろうか。
今度は昌雄くんが、大きな声で泣きはじめた。篤士くんとはたくさん遊んで、たくさんケンカもしていた仲だったので、いろいろ思うところがあったのだろう。話もできないくらい泣いていた。
大介くんは篤士くんに近づくと「あつし、引っ越しても手紙かいてね」と自分の住所を一生懸命伝えていた。
涼くんは、ショックから目が泳いでいた。そして「じゃあさあつしがさ、俺の目になってここに居ればいい、それがいい」と話す。貴斗くんは、さめざめと泣き続けた。
和美ちゃんやのぞみちゃんも泣き始める姿をみて理香ちゃんは、「泣きたい気分だけれど涙がでない」と話していた。寛太くんと蓮くんはずっと戸惑っている表情に見えた。
塁くんは篤士くんの言葉を聞き、ずっと黙って下を向いていた。しかし午睡明け後に「おりえさん、おれさ、寝ながら泣いちゃったんだ…」とこっそり話してくれた。

こんなにも子どもたちが動揺し、泣いてしまうなんて想像していなかった。私が慌てて地球儀を持ってきて「ねえ、でも地球儀で見ると、日本ってこんなに小さいし、こんなに東京と神戸は近いんだよ!」と必死に話したが、恐らく誰の耳にも届いていないだろうというくらい反応が薄く、みんな泣いていた。
「とりあえず、みんなご飯食べようよ、ね、食べて落ち着こう!」と提案し、子どもたちは泣きながら食事をするホールに移動した。すでにホールにいた他のクラスの子どもたち、おとなたちは、何と声をかけたらいいのかわからないという感じで、ものすごくびっくりしているように見えた。
みんながホールにいく中1人、「おれは行かない…」と翔太くんは大きな声で泣き続けていた。「わかった先にご飯食べているね、落ち着いたらおいでね」と声をかけ、翔太くんをホールで待つことにした。

ご飯の間も、子どもたちはほとんど話しもせず、いつものだるまぐみからは考えられないほど、静寂に包まれていた。
ご飯を食べはじめてもなかなかホールにこない翔太くんはどうしているのか、こっそり覗きに行った。すると、「MAPS」で日本のページを開いて床に置き、右手には地球儀を抱えて下を向いて涙を流し、椅子に座っていた。もう少しそっとしておこうと思い、声をかけずにホールに戻った。しばらく待っていると気持ちが落ち着いてきたのか「ご飯食べる」と言い翔太くんもご飯を食べに来た。

やっとみんなが揃いほっとした。篤士くんはどうしているだろうと思い見てみると、周りの子どもたちとは対照的に、ニコニコしながらご飯を食べていた。篤士くんはご飯のおかわりで私のところに来ると、「おりえさん、俺ってすごい人気者だね!」と嬉しそうに耳打ちをした。確かに篤士くんの言う通り、みんな篤士くんが大好きで仕方ないから、こんなにショックを受けていたのだろう。そこを改めて実感し、この状況でも嬉しくなってしまう篤士くんに、私は思わず笑ってしまった。この篤士くんのことばから、引っ越してしまう悲しい気持ちよりも、一緒に過ごせる日々をとことん楽しんでいこうと考えることができた。

数日後、休んでいて引っ越しの話をしていなかった裕人くんと玲奈ちゃんには、篤士くんから直接話した。2人とも「そうなんだ…」と静かに耳を傾けていたのが印象的だった。

篤士くんは入園した当初、友だちとおもいっきりぶつかり合うことが多かった。
篤士くんだけではなく、だるまぐみの子どもたちは、感情をおもいっきり爆発させて激しくぶつかり合うことがとにかく多かった。そのため、年間を通してクラステーマをとても大切に思い、伝え続けていた。
ぶつかり合うことは決して悪いことではないけれど、一方的にことばを吐き捨てるのではなく、きちんと相手のことばに耳だけでなく心も傾けて欲しい。そしてお互いを認め合い、おとなも含めてみんなで育ち合っていきたいと思い、一年間このテーマを大切にしてきた。

篤士くんが自分の言葉で一生懸命引っ越しの話をしている姿や、その話に耳も心も傾けている子どもたちの姿を目にして、ずっと大切に思い続けたクラステーマが、しっかり子どもたちに伝わっていたのだと気付くことができた。さらには、子どもたち同士がお互いを認め合い、見えない部分でしっかりと結びつく何かが、だるまぐみの中で生まれていたことを知ることができた。

それは決して目に見えるものではない。何年たっても結果として現れてくるようなものではないかもしれない。しかしこれから子どもたちが成長しておとなになっていく中で、とっても大事な心の根っこの一部分になるのではないかと感じている。
このちいさな根っこから、だるまぐみの子どもたち一人ひとりが、どんな花を咲かせていくのかな。

受賞のことば

バオバブちいさな家保育園 臼田 織絵

この度は素敵な賞を頂き、本当にありがとうございます。
私は15人の子どもたちと、保育者と子どもたちとして関わっていたのではなく、きっと人と人との関わりあいだったのだと思います。
お腹が痛くなるくらい笑いあったり、涙が出るほど喜びあったり、時にはおもいっきりぶつかりあうこともありました。
大好きな子どもたちと過ごしていく日々で、こんなに大きく心を動かして、おもいっきり心を開く経験ができた私は、とても幸せ者です。

初めての幼児クラスの担任、初めての年長の担任で何もかもわからない私を、毎日笑顔でうけとめてくれていた15人の子どもたち、あたたかく見守ってくださった保護者の方々、私に文章を書くことの楽しさと奥深さを教えて下さった先生、そして子どもたちと私の気持ちを1番に考えて支えてもらった園長の遠山さんをはじめ、ちいさな家の職員に、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

講評

日本女子体育大学教授 天野 珠路

仲良しの友達が引っ越してしまう、いつも一緒に遊んでいる仲間がいなくなる! ショックを受けた子どもたちが、どのように悲しみ、この事実をどう受けとめていったのかが具体的に伝わってくる記録です。当の本人がクラスの仲間に告白するまでの心の揺れと、友達が篤士君を思う気持ちに共に過ごしてきたかけがえのない時間が浮かび上がります。伝え合い、認め合うことを常に大切に保育してきた筆者の観察力や子どもを信頼する心に共感を覚えることでしょう。

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