【青山誠(保育者)レポート】ご近所のおじいちゃん・おばあちゃんとつながる・ふれあう
子どもたちが遊ぶかたわらに、おじいちゃん、おばあちゃんがいる風景。地域の高齢者と豊かに交流する3園の日常を取材しました。
青山誠 さん
上町しぜんの国保育園園長(東京・世田谷区)。第46回「わたしの保育記録」大賞受賞後、本誌で保育エッセイを執筆。著書に独自の保育観をまとめた『あなたも保育者になれる』(小学館)がある。
目次
鳩の森愛の詩 あすなろ保育園(神奈川・横浜市)
月に2回の交流の時間はおたがいをゆっくり知り合う絶妙なタイミング
あすなろ保育園は小高い丘の上にあります。この日はとても暑い日。坂の下にある公園で「いきいきあすなろ」のみなさんと待ち合わせました。
「いきいきあすなろ」は17年にもわたってあすなろ保育園とかかわっている、地域のおじいちゃん、おばあちゃんのグループ。この日は笹舟を流しに一緒に川へ行きます。川までは15分ほどの道のり。横断歩道を渡る際は保育者が見守りますが、先導は「いきいきあすなろ」のリーダー、中野さん。子どもたちと手をつないでおしゃべりしながら歩いていきます。
「最初は子どもだけで先に行っちゃってね」
そう教えてくれたのはあすなろ保育園の園長の近江屋希さん。
「いきいきさんたちは歩くのがゆっくりなので。でもそのうちに子どもたちが自然とおじいちゃん、おばあちゃんの歩くペースに合わせるようになったんです」
交流するのはおもに5歳児。月に2回、散歩に行ったり、室内で遊んだり、給食を一緒に食べたり。日常だけれど毎週でもないという絶妙なタイミング。それがおたがいをゆっくり知り合うことにつながって、関係が育まれてきたのでしょうか。
川に着くとさっそく笹舟作りが始まりました。
「葉っぱのここを折るのよ。自分でやってごらん」。いきいきあすなろのみなさんは辛抱強く笹舟の作り方を教えてくれます。子どもから「むずかしいー」と声があがると、「もうちょっと横に切り目を入れて。そうそう」。
2日前に降った雨のせいで、川はたっぷりとした水量で流れていました。できあがった笹舟を川面に置くと、あっというまに流れていきます。子どもたちは歓声をあげて笹舟を見送ります。おじいちゃん、おばあちゃんたちも川辺に降りてきて、うれしそうに見守っています。
笹舟流しが一段落したころ、中野さんが紙で作った「ヘリコプター」を出してくれました。こちらも子どもたちに大人気。跳びはねながら空へ向かって放り投げると、くるくる回るプロペラが風に流されあちらこちらへ。子どもたちを見守るおじいちゃん、おばあちゃんたちの顔はうれしそうでもあるし、どこか懐かしそうでもあります。
やさしくされるエネルギーチャージの時間
「いきいきさんたちはとにかく子どもたちにやさしくて」と近江屋さん。
「給食のときにずっとしゃべっている子にも『いっぱい話したいことがあるのね』というふうに褒めてくれる。それを見ていて“なにをしても許される時間”って必要だなって。やさしくされるエネルギーチャージの時間というんでしょうか。保育者と子どもという日常的な関係の中ではなかなかそうはいきませんから」
開園当初は近江屋さん自身も5歳児の担任としてこの取り組みにかかわっていたそうです。
「日常でないことが大事なのかもしれませんね。それはいきいきさんたちにとってもそうなんです。子どもや園の職員が相手だとやわらかくなる。いつも接している老人ホームの職員さんたちにはそうでもないみたい(笑)」
地域の高齢者とこれからかかわりを持ちたいと思う保育者になにかアドバイスをと聞くと、近江屋さんはこう答えてくれました。
「人となりがわかるまでが大変かもしれません。でもだんだんと信頼関係ができあがると意見もいい合えるようになります。去年まで交流の内容は、いきいきさんのリーダー、中野さんに任せていたのですが、こちらからも内容について意見をいってみたんですね。そしたら中野さんから『そういうの、いってほしかったんだ』と。おたがい思いを出すって大事ですね」
毎年クリスマスには、一緒にハンドベルなどの出し物も披露するそうです。
「そのときだけは、いきいきさんたち、けっこうスパルタなんですよ」と笑いながら話す近江屋さんの表情からは、じっくりと築き上げてきた信頼関係の深さが感じられました。
わこう村・和光保育園(千葉・富津市)
もとからあった地域のつながりを子どもたちがつなぎ直す
「保育園ってじつは、子どもが育つための土壌としては痩せた場所なんですよね」
そう語り出したのは、わこう村・和光保育園副園長の鈴木秀弘さん。
「子どもは多様な人格に囲まれて育っていく。わこうでは日常的にいる保育者、保護者の活動は充実してきているけれど、さらにじいちゃん、ばあちゃん、地域の人とのかかわりを広げていきたい。でも、保育園というだけでは超えられない枠があります。ですから“わこう村”という言葉を使うことで、いろんな人が入り込んできてほしいという思いを込めています」
はじめのうちは畑仕事、餅つき、正月飾りなど、おじいちゃん、おばあちゃんたちの知恵に頼ろう、とひとつひとつ形にしてきたとのこと。並行して、保護者、地域の人たちが園に入ってくる実例を増やしていったそうです。
「出来事が積まれていくことで園のネットワークの土壌が肥えてきた。だけどどうしても園に都合のいい人だけ来てほしい、というのが抜けきれなくて。その枠を超えて、いつもの園では起こり得ないことを起こしてくれる人が来てくれたらなぁ…という思いは常にありましたね」
呼んだのではなく自分から来てくれた
そんなときに出会ったのが三木良吉さん。和光保育園には年長の部屋に蚕がいるそうで、大きくなると小指くらいの大きさになり、ざくざく桑の葉を食べ、6月半ばくらいには園まわりの桑の葉では足りなくなるとのこと。
「たまたま近所の三木さんの畑に桑の葉をもらいに行ったら、まあこの地域はもともと漁師町なんでね、三木さんもけっこう口調に勢いのある方で(笑)。最初は『なんだ、おまえら!』みたいな感じで、子どもたちも腰が引けちゃって。でも桑の葉をくれたから次の日ももらいに行ったら、桑の木の下の草を刈って待っていてくれたんです。しかもその土のところにミミズがたくさんいて、それも子どもたちにくれました」
その後、今度は三木さんのほうから園を訪ねてきてくれたそう。
「地域のごみ分別表がぼろぼろになっているから園でラミネートしてくれないかって。そのときに『おみやげ』といって、ミミズを容器いっぱいに詰めて持ってきてくれたんです。その日から毎日ミミズを持ってきてくれる。朝と夕方毎日園に来て、朝は玄関で子ども一人ひとりに『おはよう』と声をかけ、夕方は園庭で子どもと遊んで帰るんです」園の都合に合わせてこちらが呼んだのではなく、三木さんが自分の足で入り込んできてくれたことに意味がある、と秀弘さん。
「保育がつくりだすことには限界がある。まわりの人に頼りながら生み出していく。なにより気持ちがいいですよ。おたがい『ありがとう』といえる間柄が大事」
偶然にも思える三木さんとのつながり。でも秀弘さんからすると偶然とも呼べない感覚もあるとのこと。
「もともとつながっていた感覚がありますね。三木さんとうちの園長とは、じつは地域の青年団ではご一緒していました。でも園と三木さんとはつながっていなかった。子どもたちがご縁をつなぎ直してくれたともいえるんです」
とはいえ、園の中に外から人が入ってくることに不安はないのでしょうか。聞いてみると、秀弘さんはおだやかな口調でこう答えてくれました。
「大事なのは信頼の及ぶ範囲でことが起きていることですね。信頼の及ばない範囲でことが起きていると心配になる。だけど信頼の距離感が広がっていけば大丈夫になる。三木さんでいえば、園としては初めてでしたが地域の人としてはつながっていた。ただし、まあここがむずかしいところなんですが、じゃあ全部が全部、信頼の及ぶ範囲でだけやっちゃうと今度は閉じすぎちゃいますよね。開きたいという心を持ちながら、まずはやってみる。うまくいかなかったら戻ってやり直す。問題が起こったら丁寧に向き合う。その積み重ねですね」
うーたん保育園(神奈川・茅ケ崎市)
だれであってもこの地域でつながって生きていく
うーたん保育園のある建物には、同じ社会福祉法人「翔の会」が運営する児童発達支援センター特別養護老人ホームも入っています。
「はじめのうちはホームとの交流も行事だけでしたが、もっと自然に交流したいという声があがって。雨だから遊びに行こうとか、赤ちゃん連れていったら喜ばれたからまた行こうよとか。そのうちやっぱりおたがい名前を覚えたいよねとなっていきました」
そう話してくれたのは、うーたん保育園の園長、瀬山さと子さん。そのやわらかな語り口と同じく、うーたんでは施設間の交流もとてもゆるやか。そのゆるやかさはどこから生まれたのでしょうか。
「迷惑をかけるのは当然。おたがい許し合うというのが基本姿勢。法人自体が地域作業所から始まり、だれであってもこの地域で生きていく、どんなに障がいが重たくてもつながって生きていくんだという気持ちが根っこにあります」
ホームとの交流に際して保護者から心配の声はあがらなかったのでしょうか。
「はじめは不安の声もありましたけど、園でもドキュメンテーションに取り組んで、子どもの姿を保護者に丁寧に伝えていきました。保育園がやっていることを認めてもらえるようになったのか、心配の声はあがらなくなりましたね。園自体も7年前から始まったばかりなのでなんでもやってみちゃえ!という勢いでやってきました」
子どもが持っていったブロックにおじいちゃんが夢中になったり、おばあちゃんの誕生日を子どもたちがお祝いに行ったり。その様子を見て「ぼくもここでお祝いしてもらいたい」という子どもの誕生日をホームでお祝いしたり。ゆるやかな日常の中でたくさんのほほえましいエピソードが生まれているとのこと。そんな中で亡くなった方のお見送りも自然と始まったそうです。
「あるとき、ホームで亡くなった方のお見送りが日中にありました。“今なら子どもたちも参加できそう”と何人かの子を誘っていったんです。お見送りをしたあと子どもたちの心も結構揺れて、だから私からホームの職員とナースに頼んで、子どもたちと話してもらったんです。
『どうして死んだの』『死んじゃうときってどうなるの』『どうしておうちにいないでここにいるの』子どもたちからはいろんな質問があがりましたが、一つひとつ丁寧に答えてもらいました。『ご家族にも生活があって、それぞれが大変だからここで暮らしているんだよ』『だんだん元気がなくなって、だんだんご飯が食べられなくなって、それから息がとまるんだよ』と。子どもたちは真剣に聞き入っていました」
お別れの悲しさもみんなで分かち合う
お見送りはもちろん強制ではありません。保護者の中で心配な方がいたら「子どもへのフォローはしっかりします」と伝えています。
「お見送りのときはささやかなセレモニーをします。亡くなった方の顔を見て、『長い間お疲れさまでした』と声をかけます。子どもからお手紙をあげることもあります。じつはこれって、ご家族や特養の職員にとっても大きなことなんです。職員にとってはひとりで抱え込まなくてもいい。お世話してた方が亡くなるのはショックですから。ご家族もみんなに見守られながら送られることが大きな慰めになります。同じように悲しいけどみんなで分かち合う。そして子どもの姿に心が洗われます」にこやかに語りながら、瀬山さんは最後にこう付け加えました。
「やさしくないと生きていけないですから」
青山MEMO
近所のおじいちゃんやおばあちゃんと子どもたちが、ともに笑い合う時間。3園の取材から見えてきたこと、感じたことを、3つの視点でまとめました
絶妙な日常
園には園の暮らしがあり、地域の高齢者の方それぞれにも暮らしがあります。おたがいがおたがいの暮らしのペースを保ちつつ、無理なく交流しあえる頻度や距離感が大事かもしれません。あすなろ保育園の事例では月に2回という頻度が絶妙な距離感を生んでいました。行事のような特別なものでもなく、毎週あるルーティンでもない。それはまた、和光保育園の秀弘さんのお話の中にもあった「信頼の及ぶ範囲でことが起きていること」にもつながるでしょう。
「つながり」をつなぎ直す
高齢者の方とのかかわりを考えるときに、「何をやろう?」とまずは企画を考えることになるかと思います。ただ、和光保育園の事例をみると、新しいことを作り出すということでもないのかもしれません。和光保育園の場合、地域でもともと別のつながりのある人との新たな出会い直しでした。あすなろ保育園、うーたん保育園の事例でも、子どもが遊ぶかたわらにおじいちゃん、おばあちゃんがいる。これは、少し前には地域の中に当たり前に見られた光景です。園という施設の枠組みの中からスタートするにしても、じつは地域にもともとある(あるいは、もともとはあった)つながりを、子どもとともに「つなぎ直す」ということなのかもしれません。
ゆだねあって暮らす
うーたん保育園では保育園と特別養護老人ホームとが「ひとつ屋根の下」で暮らす中、ゆるやかなつながりが生み出されていました。おたがいの名前を覚えあう「出会い」から、亡くなった方のお見送りという「別れ」まで。そこには一貫してゆるやかさが流れていました。それを支えているのは、「やさしくないと生きていけない」という園長の言葉にあるとおり、人は迷惑をかけあって生きていくんだ、ゆだねあってこそのつながりなのだという信念でした。これは高齢者の方とのつながりに限らず、職場での人間関係、家族、友達関係すべてにいえることなのではないでしょうか。悲しいことも、うれしいことも、分かち合って生きていく。何事も信念あってこその取り組みなのだと感じさせられました。
撮影/藤田修平(あすなろ保育園)
写真提供/和光保育園、うーたん保育園
『新 幼児と保育』2019年8/9月号より