佐々木一澄さん「自転車に乗れるようになった瞬間」【表紙絵本館】
『新 幼児と保育』は、毎号絵本作家さんの描きおろしの絵が表紙となっています。表紙を飾った絵本作家さんの幼年期のエッセイを紹介していきます。今回は、佐々木一澄さんです。
目次
自転車に乗れるようになった瞬間
僕が初めて自転車に乗れるようになったのは、幼稚園の年中組のころでした。練習を始めて数時間で乗れるようになってしまったので、ここで書けるような練習中のエピソードはありませんが、乗れるようになった瞬間のことだけははっきりと覚えています。
その当時、僕はゆるい坂道の途中にある家に住んでいました。今考えると、よくそんな場所で練習していたなと思いますが、坂道での練習が僕にとってはプラスになったのでしょう。練習を始めて数時間たった夕方、少し勢いをつけて漕ぐと、自転車はスーッと坂道を下り始めました。下り始めればもうペダルを漕ぐ必要はなく、何もしなくてもどんどんスピードが上がっていきます。
「あ! 乗れた! 楽しい!」と、ふっと自分の足元に目をやると、ものすごい速さでコンクリートの地面が流れていくのが見えました。地面が流れるさまは、飛行機に乗り、街を見下ろしたときの景色を思わせ、まるで飛んでいるようでした。
前を見て、地面を見て、前を見て、地面を見て、とくり返していると、坂の下にある大きな公園の入り口まで来ました。入り口の黄色い車止めにぶつかりそうになりながらも、ブレーキもかけずにその間を縫うようにして進み、公園の広場の真ん中でゆっくりと止まりました。後ろを振り返ると、広場の砂利には自分の自転車のタイヤ跡が長くついています。「すごい、こんなところまでこれた…!」と喜び、今度は広場の中をグルグルと走り続けました。自分だけの乗り物が手に入ったこと、それを乗りこなせるようになったことはとてもうれしく、夕日でオレンジに染まった景色とともに、心に深く刻みつけられています。
それから35年近くたった今、7歳になる双子の娘も自転車に乗れるようになりました(ふたりは少し苦労していましたが)。僕がそうであるように、ふたりとも乗れたときの格別な感情はきっとずっと忘れることはないでしょう。
佐々木一澄(ささき かずと)
1982年東京生まれ。イラストレーター・絵本作家・デザイナー。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業。趣味は郷土玩具蒐集。絵本作品に『でんしゃから みつけた』(パイ インターナショナル)、『ガーコとリチャードのあいことば』(文研出版)などがある。
『新 幼児と保育』2022年2/3月号より
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