はじめに|日本の保育を旅するー地域とともにある人の育ち


みなさん、こんにちは。
北海道で子どもや保育の研究をしている川田 学(かわた・まなぶ)です。
これから、「日本の保育を旅する」と題して、私が実際にその土地を訪れ、人々と交流し、給食をいただき、地酒を呑みながら感じたこと、考えたことをつづらせていただけることになりました。
このような連載の背景には、私の生活経験があります。
折り箱屋の末っ子の長男
私は昭和の後半に東京で生まれました。
父の生家は“折箱屋”(折り屋)で、縁日で焼きそばなどをくるむ経木(きょうぎ)であるとか、江戸前寿司を入れる寿司折りのような木製容器を作って売る家でした。戦争から生還した祖父が、戦後の焼け野原から立ち上げた生業でした。父は5人きょうだいの末っ子で、私はその長男です。
幼少期の記憶には、折り屋の板の間に香る糊と木のにおいや、高度経済成長期に“金の卵”として東北から上京してきた職人さんが唄う民謡の抑揚があります。
正月には、親類や商売関係の人々で、祖父の家にはおそらく3桁を超える出入りがありました。正月にしか会わない、しかもどういうつながりの人なのかわからないおじさん、おばさんに、「あけましておめでとうございます!」と元気よく挨拶し、お年玉をもらって回りました。
子どもの後ろで、母親たちが「行きなさい」と指令を出していた記憶もありますが、果たして「ご挨拶しなさい」だったのか、「もらえるものはもらっておきなさい」だったのか。商人の家でしたから、両方だったのでしょう。
下町と新興住宅地
いまは、私と同い年のイトコが3代目として継いでいます。
かつてはありふれていた木製容器ですが、いまやむしろ高級品です。折り屋の商いの主力も、プラスチック容器などになっているようですが、生活の場のにおいと仕事のにおいが混じり合った嗅覚の記憶は、大切な憧憬となっています。
そして、親類縁者を集めての大宴会やさまざまな芸の披露、孫世代のお年玉集めといった愉快な喧騒も、過去のものとなりました。
幼児期に神奈川県の郊外的な町に引っ越しました。最寄り駅まで350mほどですが、引っ越した当時は駅から4軒目の家だったようで、まだ人口密度の低い新興住宅地でした。
物心がつくようになると、郊外の新興住宅地と折り屋のある下町風情との違いをいろいろ考えるようになりました。人々の暮らしのリズムの違い、かかわる人の多様性、言葉の訛(なま)り、食卓のありようなどです。
讃岐の国へ

そのまま大学院生まで神奈川と東京で生活し、三十路を超えてやっと職を得たのは讃岐の国・香川県でした。
そこで妻とともに娘を育てながら5年間暮らしましたが、気候風土や人々の気質の違い、地域にとっての保育の場や学校の意味の違いなど、たくさん感じるものがありました。
香川県内のほとんどの保育所や幼稚園は公立ですが、保育者の中には、一度も地域を出たことがないとか、引っ越しもしたことがないという方がけっこう多くいました。
「米やミカンは一度も買ったことがない」という声もよく聞きました。私が「買ったコメしか食べたことがない」というと、「へぇ!」と驚かれてしまったほどです。
生まれたときから生涯住む家や地域が決まっていて、主たる食資源が現金を媒介せずに地縁血縁ネットワークから供給され、入るお墓があるというような人生を、自分の身の上では考えたこともありませんでした。
そうした土地では、人々の暮らしのかたちに呼応するように、子育てがあり、保育のありようが成り立っているのです。
北の大地へ

後ろ髪を束で引かれるような思いで讃岐の国をあとにし、今度は北海道にやってきました。
そこで新しい命も授かり、ふたりの子育てをしながら、内地の人から見ると「開拓」の歴史を持つ北の風土が、やはりこの土地の子育てや保育と呼応しているのだと感じてきました。
娘は、小学校1年生から2年生になるタイミングで札幌に引っ越しました。
香川では、公立小学校も制服があるのが普通です。頭のてっぺん(帽子)から足の先(靴、靴下)まで、決められているのです。しかし、札幌の小学校に転校すると、揃えるのはカラー帽子だけでした。北海道の公立小学校では、制服はおろか、体操着も上靴も指定がないのが普通です。
なぜ、同じ国の義務教育の学校で、こうも違っているのでしょうか。「良い悪い」の問題ではなく、そのようになっている経緯や背景にはどのようなことがあるのだろう、という問いがかきたてられます。
私家版・保育の風土記への旅
この連載では、私が日本各地の保育現場とそこを取り巻く地域を旅しながら感じたこと、考えたことをつづっていきたいと思います。
いわば、私家版の保育の風土記です。
海外からの情報や理論に目が向きがちな日本ですが、日本の中にも豊かな多様性があります。
保育雑誌で紹介されるような特色を持つ園も魅力的なのですが、一見地味に見える現場にも、その実践を成り立たせているたくさんの「糸」があります。
私が旅をしながら感じ取ったさまざまな保育の「糸」を手繰り寄せながら、この国の保育の豊かさに触れていきたいと思います。
文/川田 学(北海道大学大学院准教授)
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