ページの本文です

#01 香川県三豊市仁尾町 地域で一番古い園(前編)|日本の保育を旅する〜地域とともにある人の育ち〜

連載
日本の保育を旅するー地域とともにある人の育ち

北海道大学大学院教育学研究院教授

川田学

これからしばらくの間、みなさんと讃岐国(さぬきのくに)を旅してみたいと思います。

香川は日本で一番面積の小さい県ですが、自然と文化の多様性がぎゅっと詰まった土地です。

瀬戸内海は北は中国山地、南は四国山地にはさまれていて、全体が盆地のようになっています。ですから夏はとても暑いです。夕方になると“瀬戸の夕凪”と呼ばれるほどに風がピタリとやんで、蒸し風呂のようになります。

でも、大小無数の島々のゆりかごのような海は、なぜか“暮らし”という言葉を自然に想起させ、心を穏やかにしてくれます。

南の海と北の海

香川に住んで最初に気づいたことは、海が北にあるということでした。私は南関東で育ったので、幼いころからの身体感覚で海とは南にあるものでした。

慣れるまでは、「海のほうに行こう」と思うと自然に南に移動してしまうことがありました。行動は、意志をもって行っているようでありながら、多くの部分は感覚的で、惰性によるものだったりします。

心理学には「認知地図」という概念がありますが、私たちは日常生活圏での行動経験から、自ずといろいろなランドマーク(空間的な目印)を意識の中に構築しています。山や大きな樹木、川、池や湖、そして海のような自然物。ビルや鉄塔などの人工物。飛行機がどの時間に、どの方角に飛んでいるかといった動的な事柄も、私たちの日常生活感覚を支えています。

三豊との出会い

仁尾の父母ヶ浜 2019年3月|写真提供:川田学先生
仁尾の父母ヶ浜 2019年3月|写真提供:川田学先生

香川の西方に、三豊(みとよ)と呼ばれる地域があります。かつては郡でしたが、いわゆる「平成の大合併」の最後のほうに、7つの旧町がひとつになって三豊市となりました。

私は、2005年4月に香川大学に赴任し、保育士と幼稚園教諭、そして小学校教諭の養成にかかわる仕事を始めました。右も左も、いや、北も南もわからない中、新米大学教師に教育委員会などからいくつも仕事が舞い込みます。

着任間もない5月の会議の際、その日、幼稚園での研究経過報告をされた園長先生が声をかけてくれました。「にお」というところに一度来てくれないか、と。それが私と三豊との出会いでした。

会議の翌月に、私は園長がFAXで送ってくれた地図を頼りに、車で「にお」に向かいました。首尾よく指定の高速ICを降り、道順に沿って山に向かう道を上り、七宝山トンネルをくぐりました。

時刻は午後遅めの時間で、トンネルを抜けると、まぶしい西日に視界を奪われました。そして、次の瞬間、眼下にキラキラと輝く海が広がっていたのです。

私は、あわてて車を止め、約束の時間間際であることを忘れてしばし見入ってしまいました。海景の手前の斜面には、みかんの木々がところ狭しと茂り、どこか地中海を思わせます。「君はものすごくよいところに呼ばれたんだよ…」と、もうひとりの自分がつぶやきました。

仁尾(にお)には、いまでこそ知る人ぞ知る観光スポットがあります。父母ヶ浜(ちちぶがはま)です。かのミシュランガイドでも紹介されたビーチで、凪の夕暮れには天地の境がわからなくなるほど、海が鏡面状になるのです。

平石幼稚園

さて、みかん畑と輝く海を見ながらカーブの続く道を下り、到着したのが仁尾町立平石幼稚園でした。仁尾は、当時三豊郡のひとつの町で、現在は三豊市仁尾町です。隣には、町立仁尾保育所がありました。

徐々に知ることになりますが、香川県は全体に公立園が多く、2005年当時、三豊郡の30か所の幼稚園・保育所はすべて公立でした。私が生活してきた土地では民間園が主流でしたから、これも天地がひっくり返ったような感じです。

三豊市立仁尾こども園(旧平石幼稚園)2024年12月|写真提供:川田学先生
三豊市立仁尾こども園(旧平石幼稚園)2024年12月|写真提供:川田学先生

私は、その後20年にわたり三豊の幼稚園や保育所の研修事業にかかわらせていただきながら、2019年からは、それぞれの幼稚園や保育所が地域の生業や歴史とともに、どう成り立ってきたのかを調査させてもらっています。

2024年12月、5年ぶりに訪れた平石幼稚園は、三豊市立仁尾こども園と名称を変えていました。隣接する元保育所と行政上は一体化されたことになります。ちなみに、仁尾にはもうひとつ曽保幼稚園があります。みかん畑に囲まれた小さい幼稚園でしたが、いまは園児数名を小学校内で保育しているようです。

はじめて平石幼稚園を訪れた際のメモには、平石幼稚園の「4歳 53名」「5歳 52名」とあります。3歳児は人数が少なかったので、おそらく園児規模は130人程度であったと思います。県庁所在地の高松から高速を使って1時間走ってきた海辺の町の園に、たくさんの幼児がにぎやかに遊んでいたことを覚えています。現在は、3歳以上の園児は60人ほどになっています。

地域で一番古い園

「日本保育風土記」と銘打って、最初にその調査地としたのが三豊でした。

保育関係者の先生方に「市内で一番最初にできた幼稚園と保育所」から調査を始めたいこと、訪問にあたって「できるだけ古い資料」を見せていただきたいこと、「できるだけその地域の古い話や園の成り立ちをご存じの方のお話」をうかがいたいとお願いしました。

期せずして、三豊で一番古い幼稚園が「平石幼稚園」だったのです。

仁尾こども園の園庭にて 2024年12月|写真提供:川田学先生
仁尾こども園の園庭にて 2024年12月|写真提供:川田学先生

心新たに、調査を目的として平石幼稚園を訪問したのは2019年3月のことです。
来客用に並べられたスリッパが、いつもより少し緊張しているように感じられました。

間もなく、「先生、こんなものが出てきました」と当時の園長先生が持ってきてくださったのが、いまから100年も昔、大正3年(1914年)の初代入園児名簿の原本だったのです。〈永年〉というシールが貼られた、筆書きの入園者名簿が災害時非常持ち出し袋から“発見”されたのでした。そうです、あの銀色の袋からです。

100年前の入園児名簿

「これって、素手でさわっても大丈夫なものですか?」と確認しつつ、恐る恐るめくると、端正な罫線で仕切られた帳面に、筆や万年筆で幼児や保護者の名前や生年月日、住所などが記されています。肉筆で書かれた人の名が、100年の時を越えて大正初期に誘っているようでした。

大正時代のはじめ、幼稚園はまだ少なく、都市部を中心に設置されていました。とても珍しい存在だった幼稚園が、浦島伝説の残る海辺の小さな町に、なぜこれほど早い時期に、できたのでしょうか。誰が、どんな経緯で作ったのでしょうか。

この問いに、入園児名簿のある記載事項がひとつのヒントを与えてくれたのです。それは、「保護者の職業」欄でした。「農」「漁」「工」といった具合で書かれたさまざまな職業のうち、最も多かったのが「商」だったのです。

「商」と「幼稚園」が、私の頭の中で結びつき、この地に幼稚園ができた時代への空想を加速させるのでした。

後編へ続く

文/川田 学(北海道大学大学院教授)

・・・

「つながり」の保育的発達論

\園内研修にもおすすめ/
川田先生によるオンライン講座のご案内
「つながり」の保育的発達論

→講座の詳細・申込はこちら

※終了した回は録画でのご視聴となります。

【関連記事】
日本の保育を旅するー地域とともにある人の育ちシリーズはこちら!
・#01 香川県三豊市仁尾町 地域で一番古い園(前編)|日本の保育を旅する〜地域とともにある人の育ち〜
・はじめに|日本の保育を旅するー地域とともにある人の育ち
>>もっと見る

保育者のみなさんに役立つ情報を配信中!

クリックして最新記事をチェック!
連載
日本の保育を旅するー地域とともにある人の育ち

北海道大学大学院教育学研究院教授

川田学

保育者の学びの記事一覧

フッターです。

雑誌最新号