『自分の』を大切にできる環境とは〜第56回「わたしの保育記録」佳作~

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

第56回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。
(表記は基本的に応募作品のままです)

(乳児部門)
『自分の』を大切にできる環境とは
こどもの王国保育園西池袋園(東京・豊島区) 大城彩夏

コロナ禍での担任

私は転職してこの保育園で今年度(2020年*)から働き始め、2歳児9人の担任をすることになった。働き始めてすぐにコロナ禍となってしまい、子どもたちとどう信頼関係を作っていくかを日々考えて自粛期間を過ごしていた。2歳児担任の経験は以前にもしていたのだが、いつも子どもたちのトラブルに追われ、気が張っていた記憶が頭に残っていた。

休園期間が終わった後、子どもたちはどんな表情で保育園にくるだろうと私はそわそわしていた。しかし、子どもたちはそんな心配をよそに、登園した姿は4月と比べて一回り大きく、頼もしくなったように見えた。

*編集部注。

安心材料としてのぬいぐるみ

そうはいっても、登園がはじまると不安や緊張が見られ、登園時に泣いてくる子もいた。その中でも休園期間が長く、泣いて登園するようになったのが、Hちゃんだった。Hちゃんは安心材料として、また、友達や保育者と繋がるきっかけとして、家からぬいぐるみをもってくることが多くなった。他にも、主に女の子たちが家のぬいぐるみをもってきていたのだが、それをうらやましく思っていたのは、持ってきていないMくんだった。

Mくんは、隙を見つけては、Hちゃんのぬいぐるみを取ろうとしてHちゃんが泣いて怒り、トラブルになることが多くなった。私は園にぬいぐるみを持ってくることで、持ってこられない子にとっては不満になってしまうこともあるし、Hちゃんに持ってくるのをやめてもらった方がいいのだろうかと悩んでいた。

2歳児担任は今までもしたことがあった。園の共有のおもちゃだと自分が満足いくまで使えないこともあり、「自分だけのものにしたい」という思いがぶつかってケンカになることが多くある。でも、だからといって、Hちゃんが、自分のぬいぐるみで安心感を得ているのに、それを禁止してしまっていいのだろうか? 「自分の」という自我を大切にするというのは、2歳児で大切にするべきことではなかったかと考えていた。もちろん、全部自分の思う通りにはいかなかったとしても、「自分の」が大切にされる象徴はあってもいいのではないだろうか。そんなことを考えながら、数日が過ぎた。

自分のぬいぐるみをテーブルに置き、友達と遊ぶHちゃん。

朝の会での出来事

そんなある日、朝の会でHちゃんが持ってきたぬいぐるみを、私がパペットのようにして即興で動かして遊んでいた。朝の会が終わり、私がHちゃんに返そうとしたところ、すごいスピードでMくんがやってきて、Hちゃんのぬいぐるみを取ろうとした。大切なぬいぐるみだということは知っていたので、Mくんには悪いと思いつつも、反射的に私とMくんの取り合いが始まった。
M「Mくんの―――!」
私「Hちゃんのだよ――」

すごい力で引っ張ってくる。大人相手だからといってあきらめることはなく、むしろ、全身の力で引っ張ってくる。今まで保育者をしてきて、こんな風に本気で子どもと取り合いをしたことがなかった。はたから見ているよりもとても力強く、その力からこんなに思いが伝わってくるのかと驚いてしまった。毎日ある取り合いの中で、こんなに友達の思いと向き合う経験を子どもたちはしているのか、ここまで気持ちと身体全体でぶつかっているのかと新たな発見だった。そして、周りにいたクラスの子どもたちが皆、固唾をのんで見ているのが伝わってきた。周りの子もMくんの強い思いを感じているように見えた。

Hちゃんの気持ち

やっとの思いで取り返すと、Mくんは泣いてしまった。申し訳なく思いながらも、ぬいぐるみをHちゃんに返した。すると、Hちゃんはすぐに、
H 「Mくんにかしてあげる」

そう言って、私からぬいぐるみを受け取り、Mくんに渡した。私はもちろん、周りにいた保育者も「貸してあげたら」などと一言も言っていないし、そう思ってもいなかった。でも、大人と必死に取り合うMくんを見て、心が動き、何かを感じたのかもしれない。Hちゃんの心の柔らかさに、はっとさせられた瞬間だった。共感というものの芽生えなのかもしれないと思った。受け取ったMくんは何も言わなかったが、ぬいぐるみを握りしめてじっとHちゃんを見つめていた。何を感じたのだろう。

どうしたらいいのだろう?

その日、クラスの職員に朝の会であったことを話した。その中で、「ぬいぐるみを持ってくるのが悪ではないよね」「Mくんのママにお願いして、ぬいぐるみを持ってきてもらったらいいかな」とも話した。

話している中で、Mくんの中に「みんなと同じがいい」「自分のが欲しい」という強い思いがあることにも気付かされた。その気持ちも大切にしたかった。でも、おうちでもきっと話し合って、持ってきていないのだろう、と悩んだ末に園長に相談することにした。

すると、園長から「Mくんは、保育園のぬいぐるみじゃだめなのかな?」と問いかけがあった。でも、きっといつもあるもの、誰でも使えるものではだめで、自分のであることというのに魅力を感じていると思うと伝えた。すると、「じゃあ園のもので、Mくんの特別があればいいんじゃない?」とアドバイスをもらった。ちょうど、事務室の棚に袋に入ったままのぬいぐるみを見つけてもらい、なんとか、それをMくんのにしよう! そう思った。

Mくんのマイクちゃん

園長にもらったぬいぐるみをどうMくんに渡すか、自分のものではないけれど、どう特別に思えるかが私の中で課題だった。そんな折に、Mくんは、3歳の誕生日を迎えることになった。ちょうど、もらった人形はマイクの形をしていた。そうだ、名前はマイクちゃんにしよう。それで、誕生日会で使おう!  そう思った。自分の誕生日会で現れたぬいぐるみなら、特別に感じるかもしれないと思ったからだ。誕生日会当日、会の中で、マイクちゃんを登場させて、歌をそのぬいぐるみを使って歌った。誕生日会の後、
私「Mくんも、みんなみたいな自分のお人形ほしかったんだよね。はいどうぞ」

Mくんは、嬉しそうに受け取った。それから、布団に入る時や遊ぶとき他の子のぬいぐるみを取るのではなく「Mくんのマイクちゃんは?」
と言って、持ち歩くようになった。周りの友達も落ちているとMくんに届けてあげている。「自分の」があることは嬉しいようで、みんながぬいぐるみを持ち始めると、同じようにマイクちゃんをもち、「Mくんのマイクちゃん!」
と言い、満足そうにしている。そして、他の子のぬいぐるみを見つけても、その子に渡すようになっていた。

ぬいぐるみの「マイクちゃん」を手に遊ぶMくん。

一方で、Hちゃんにも変化があった。ある日、ぬいぐるみを2つ持ってくるようになったのだ。どうしてなのか聞いてみると、
H「Mくんに貸してあげるの」

一つはMくんに貸してあげるために持ってきていた。Hちゃんも、Mくんの心を感じたからこその行動だったのかもしれない。もしかしたら、2歳児であっても、子どもが考え、子ども同士で解決できたことで、マイクちゃんは必要なかったのかもしれないなと思った。

ぬいぐるみだらけのクラス

それからしばらくは、みんなが家からぬいぐるみを持ってくるようになった。「自分の」がいっぱいのクラスの中で、どうなることやらと思ったが、子どもたちは大人の心配をよそにそれぞれの「自分の」をよくわかって、お互いのものを大切にして過ごしているように見えた。落ちていると「〇ちゃんのよ」と届けることも多く、友達同士見せ合って病院ごっこやままごとに加わり、友達と関わるきっかけになっている。むしろ、保育園のおもちゃの方が取り合いになることが多いくらいになっていた。

「自分の」が大切にされることが子どもたちの安心感や成長に繋がるのだと身をもって感じた出来事だったし、まず受け止めるという頭では分かっていることであっても、実際行動に移すのは簡単ではなかった。しかし、子どもたちが安心して、自己主張し満足する日々があることで、「自分の」ばかりでなく、友達と繋がろうとするいきいきとした姿が出てくる。その姿を見ながら「これでいいんだ」と説得されていくような感覚が今も続いている。

みんなでぬいぐるみを持って、保育園ごっこをしている。

「自分の」を大切にできる環境とは

以前まで一般的な全園児100人程度の園で働いていた。そのこともあって、家のぬいぐるみはトラブルになるからみんな持ってこない方がいいと考えていたし、ここまで2歳児の「自分の」に付き合えたことがなかった。しかし現在、少人数で過ごすようになってからは子どもたちの思いや心の動きがよく見えるようになり、Mくんの「自分の」にも向き合うことができた。いざ、向き合ってみると、2歳児にとってどれだけ「自分の」が大事なのかがわかった。それを大切にしてもらえることで、すっとそこから一歩踏み出し、友達と遊びたい、共鳴したいと感じる姿が見られたのは、私の中で発見だった。

しかし、今までの環境であっても同じことができただろうかと思う。私は運よく、少人数で保育ができる環境にあるからそれができるのだろうか。そうではなく、どんな場所で働く保育者でもそのような関わりができるようにあるべきなのではないだろうか。

コロナのことで多くの園が原則休園や、密を避けた環境で保育を行う中で、私が感じたように、子どもの心の動きが見えてきて、ゆとりある対応ができた保育者がたくさんいると思う。そう思うと、コロナ禍は子どもたちにとっては、ある意味いい部分もあったのかもしれない。それぞれの保育者が、子どもの心が動く小さな出来事に向き合えるような環境が整ってほしいと思うし、どうすればそうなるのかを保育者一人ひとりが考えなくてはいけないと思った。

ぬいぐるみもいっしょにお散歩カートへ。

受賞のことば

こどもの王国保育園西池袋園(東京・豊島区) 大城彩夏

このたびはこのような賞に選んでいただきありがとうございます。2歳児と過ごす毎日は、楽しく、パワーにあふれていて、コロナ禍の中ではさらに生きているということを実感する日々でした。今回はそんな毎日の一場面を切り取って記録とさせていただきました。

日々の保育の中では、まだまだだなと感じることや、悩んでしまうこともたくさんありました。そんなひとつの実践を切り取る中で、私の学びにもつながりましたし、賞をいただけることで、こうやって一つひとつの学びを丁寧に伝えること、言葉にすることの大切さを感じました。

賞をいただいたことに過信することなく、これからもまっすぐに熱量をもって子どもたちに向き合っていきたいと思います。

講評

今井和子(「子どもとことば」研究会代表) 

2歳児の育ちの実態から噴き出してくる姿を、誠実にとらえて書かれた話題性のある内容だったと思います。読まれた人たちもぜひこれをテーマにクラスで話し合ってみるといいですね。

自我に芽生え、もっともっと自己拡大したいと願う2歳児たちは、大切にしたい「自分のもの」を確保することによってその自己拡大を試みているのだと思います。家からぬいぐるみを持ってくると、「奪い合いが絶えなくなるから持ち込みは禁止しましょう」という約束ごとをつくってしまうことは、簡単ですが、それでは大城さんが心配なさる子どもたちの自我の育ちはどうなるでしょうか。この時期のトラブル・自己主張と自己主張のぶつかり合いこそ、子どもたちの自我の育ちをより豊かに方向づけてくれる原動力です。即ち、「自分も欲しい、だけど○○ちゃんもこんなに欲しがっている…」ものの取り合いを体験しながら子どもたちを、友達の気持ちに気づかせてくれるのがトラブルなのではないでしょうか。

保育者が、HちゃんのぬいぐるみをMくんに取られまいと本気で取り合ったこと、それがHちゃんやほかの子どもたちの心を動かしたのですね。
読みながら私は、こんなに幼い2歳児たちから予想もしなかった素敵なコミュニケーションの仕方を学ぶことができたことをほんとにうれしく思いました。

写真提供/こどもの王国保育園西池袋園

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