人が人を育てていくことのすばらしさ 〜第55回「わたしの保育記録」佳作~
第55回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。
(乳児部門)
人が人を育てていくことのすばらしさ
文京区立お茶の水女子大学こども園(東京・文京区) 伊藤ほのか
子どものころからの夢だった保育者という職業に就き、0歳児クラスどんぐり組の6名の子どもたちと生活してきた半年間で、保育者として、やりがいや魅力を感じていく記録である。
目次
私も子どもたちも初めてだらけの4月
赤ちゃん学の魅力にひき込まれ、乳児保育の大切さを学んだ学生時代を終え、念願の0歳児クラスの担任として、期待と不安に胸を膨らませていた4月。「初めての場所で初めての人に囲まれる子どもたちは、きっと不安でしかたないよな」と、子どもたちが泣いている姿が目に浮かんだ。
園生活が始まると、その不安を存分に涙で表現する子どもたち。想像以上に大きな泣き声に圧倒されてしまい、腕の中で暴れるように動く子どもを見て、私は何もできなかった。ふと、周りの先生方の表情を見る。「大丈夫よ」とほほ笑むように優しい表情で語りかけていた。「きっと赤ちゃんも、目や耳から大人の気持ちを感じ取っているのだな」と改めて気づかされた。ふと自分の気持ちを思い返す。私はただひたすらに「どうしよう」「なにかしなければ」と焦る気持ちでいっぱいだったことに加え、笑顔なんてなく、力んでいたことに気づいた。
それからは、肩の力をふっと抜いて「大丈夫。ここに先生がいるよ」と背中をさすりながら抱きしめ、子どもの不安な気持ちを受けとめることに徹した。肩の力を抜くと、自然に笑顔もこぼれる。子どものその瞬間の気持ちを優しく受けとめ、安心できるように声をかけながら生活を重ねていくにつれて、少しずつ子どもたちの気持ちも安定していった。立ったままの抱っこでないと泣いていた子どもが、座って抱っこをしても泣くことはなくなった。保育者の膝に座って周りを見るようになり、自分で床に座って玩具を手に取るようになった。
不快な気持ちを快の気持ちに変えることはもちろんのこと、「先生はここにいるよ。大丈夫だよ」と言葉や動作で繰り返し伝えることで、子どもたちの心が少しずつ周りに向き始めたように感じた。
不安だけれど、先生と二人だけの場所でなら…!
そんな中、11か月のSくんはなかなか園生活に慣れることができなかった。朝、保護者と離れてから保育者の腕の中でしばらく泣き、食事を食べることも嫌がり、午睡もできず泣いて過ごすことが多かった。Sくんにとってこども園が少しでも安心できる場所にならないかと、一緒に担任しているH先生と考えた。そんな中でSくんを観察してみると、どうやら友だちが近くにいることが苦手なようで、保育者と二人きりの空間を保障してあげることが必要なようだった。それからは遊びの面でも生活の面でもとことんSくんと向き合った。
食事は、友だちが見えないように少し離れたところで始めた。離れた場所で食事をとることを繰り返すと、食事中の大きかった泣き声が次第に小さくなり、そして止まった。目線の先には並べられた皿。気持ちが食事に向かっているようだった。スプーンで口元にご飯を運ぶと、小さく口を開けてあむっと食べた。回数を重ねるごとに、開く口は大きくなっていき、「おいしいね」と声をかけると柔らかく笑顔を見せてくれるようになった。おなかがいっぱいになったSくんを優しく抱きながら、小さく子守唄をうたっていると、私の胸の中でSくんが眠った。その瞬間、うれしさから少し涙が出そうになった。
不安ばかりで自信もなく、右も左もわからないながらも、必死に向き合った数週間。私は「安心できる人」としてSくんに少し認められた気がした。眠っていた時間は1時間にも満たなかったが、こうして満腹感を感じながら、自然に眠りについたことで、目が覚めると、とてもご機嫌そうにSくんが笑った。
少しまどろんだ後「おはよう」と声をかけ体を起こすと、並べられた玩具を見て、
「お?」
と声を発した。
「遊んでみる?」
と玩具のそばに座ると、Sくんが私の膝を離れ、短い時間ではあったが一人で座って遊び始めた。ときどき「ねえ、僕のこと見てる? 近くにいる?」というように後ろを振り向きながら、目の前の玩具に夢中になって遊び込む姿は、なんだか大きく見えた。安心できる人とともに〝食べる〞〝眠る〞という基本的なことが、乳児期にどれほど大切なのかを実感した。
排泄も含めたこれら生理的欲求を満たすことこそが、人間の生きていく上の基盤であり、目の前の子どもの人生の基盤に、自分がかかわっていることの責任の大きさも感じた出来事だった。
段差を超える小さな一歩は、大きな成長
生理的欲求が満たされ、クラスや保育者を安心できる場所・人として認識し始めると、少しずつ周りに気持ちが向き、探索活動をするようになった子どもたち。その姿は、6人いれば6通り。ハイハイでどんどん移動し、次から次へと手を伸ばして触れたり、口に入れて確かめたりする子もいれば、いったん周りの様子を見ながら慎重に動き始める子もいる。
天気もよく、心地よい気温の日は、園庭で過ごす。外に出るときはテラスで準備することが多いため、ドアを開けるだけで「外に出たい!」というように猛スピードでテラスへ向かう子どもたち。何度か砂場で遊んだことはあるものの、最初の頃はテラスから砂場へ保育者が抱いて移動していた。
ある日、外へ出る準備ができたところで、H先生が園庭へと続く柵をあけた。H先生から子どもたちへの「自分から園庭へ出てみる?」というサインだった。それに応えるかのように、次から次へとハイハイで園庭へ出ていく子どもたち。そのなかで、1歳のYくんだけは座ったままその場を動こうとしなかった。
Yくんはどちらかというと慎重派の子。「他の子どもたちは遊び始めている。このままじゃ自分で園庭へ出ることはないかもしれない。抱っこしてあげようかな…」という考えも頭をよぎった。そのときYくんの見えている景色が目にとまった。無意識に、座っているYくんの近くへ行き、Yくんの目線まで姿勢を低くしてみた。「あれ? 園庭ってこんなに広かったっけ…?」私は少し驚いた。ふだん、私が見ている園庭とはまるで景色が違った。元気よく動き回る他のクラスの子どもたち。どこまでも続いているように感じる園庭の横幅。高くそびえたつ緑色の木。私たちから見たら大きく感じることのなかった園庭だが、Yくんにとってはとてつもなく広い世界が広がっていたのだと気づかされた。
その日は、テラスの縁まで移動することで精いっぱいだったため「Yくん、どこに行こうか?」と声をかけて抱き上げ、Yくんが腕を伸ばした砂場へ向かい一緒に遊んだ。それでも、テラスの縁まで移動した姿から「園庭、行ってみようかな」という思いが見えた。
次の日、テラスで準備を終え前日と同じように園庭へと続く柵を開けた。やはりYくんは、すぐには動こうとしなかった。私がその様子を少し離れたところで見守っていると、Yくんは前日とは変わり、頻繁に目線がきょろきょろと動くようになっていた。周りの様子をじっくり観察しているのかなとしばらく見ていると、目が合った。「Yくんいらっしゃい。砂がサラサラしていて気持ちいいよ」とシャベルを見せながら声をかけてみた。「ぶう」と声をあげながら両手をバタバタさせた後、Yくんはゆっくりテラスの段差を降りて、シャベルを手に持ち、その場の砂をザクザクと掘り始めた。私はYくんの大きな一歩を見た気がした。胸が熱くなった。
Yくんの「園庭に行ってみようかな」という気持ちと、「いつも一緒にいる先生が笑っているから、行っても大丈夫な場所なのかな」という安心感のようなもの、Y君と私の信頼関係が表れた姿だと感じた。小さな体でも、しっかり自分の意思を持っていることに気づかされたとともに、日々の小さな積み重ねから、子どもたちの安心できる場所が少しずつ広がっていっていることにうれしさを感じた、そんな日だった。
子どもの姿から感じるやりがい・魅力
私にとっても、どんぐり組の子どもたちにとっても、初めてだらけの4月から半年が過ぎた。一人の空間でないと食事をとることができなかったSくんは、今では笑顔で友だちと向かい合わせに座って食事をする。目の前の友だちと同じものを食べてみるなど、友だちと一緒に食べる時間をとても楽しそうに過ごしている。なかなか自分から園庭へ出ることができなかったYくんは、準備ができた瞬間、他の子どもたちと一緒にハイハイで園庭へ出ていくようになった。園庭もYくんにとって楽しい場所になっていた。
なかなか眠ることのできなかった子どもたちが、私の顔を見ながらすーっと眠る姿を見ていると、安心できる場所・人になることができているとうれしくなる。静かに上下する胸を見ていると、私は今、命を守ることができていると実感する。こうして、人が人を育てていくすばらしさを感じることができた。これこそが、保育の魅力だと思う。
たった半年。されど半年。子どもたちの姿は大きく変わり、毎日新しい姿を発見する。その成長のスピードについていかれるようにと、必死に環境構成や玩具の入れ替えを考える日々。まだ保育という世界に足を踏み入れて半年の私が、こうして毎日学ぶことができているのは、周りの先生方や保護者の方々はもちろん、どんぐり組6人の子どもたちの存在も大きい。どんぐり組で過ごす時間も折り返し点まできた。私はどんな思いで1年を終えるのだろう。どんぐり組の担任を務めることができてよかったと、胸を張って言える自分でありたい。
受賞のことば
文京区立お茶の水女子大学こども園(東京・文京区) 伊藤ほのか
素晴らしい賞をいただいたことに感激するとともに、身が引き締まる思いです。
保育者としてスタートしたばかりの私は、保育の奥深さに悩みながらも、ひたむきに、がむしゃらに、一人ひとりの子どもに向き合っています。幼いころからあこがれていた職業に就くことができた幸せをかみしめながら、子どもの日々の成長に勇気をもらっている毎日です。
勢いだけでは保育は成立しません。保育の記録を継続することで、子どもの成長を再認識しながら自分の実践をふりかえることができます。記録の積み重ねが子どもたちと私のふれあいの証しです。
この場をお借りして、園長先生をはじめとするこども園の先生方、いつも支えてくださる保護者のみなさま、そしてたくさんのことを教えてくれる子どもたちに感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当にありがとうございました。
講評
國學院大學 神長美津子
初めてのクラス担任で、初めての0歳児担任、何もかもが新鮮で学ぶことの毎日のようです。この保育記録には、保育者の立場で感じていることや気づいたことの一つひとつが丁寧に書かれています。「なにかしなければ」と焦る気持ちを抑えて、肩の力をふっと抜いて「大丈夫」と赤ちゃんに語りかけていると、保育者自身も自然に笑顔がこぼれているなど、新任らしいかかわり方です。
しかし、ここには「ことばの前のことば」を通して語りかけ、子どものことばを受けとめる保育者の姿勢があります。その姿勢が「段差を超える小さな一歩」につながっていくのかもしれません。新任らしい保育記録ですが、自らに「育てること」の問いを重ねる保育者としての姿を読み取ることができます。
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