『立派な保育者』でなくていい【柴田愛子さん×青山誠さん 対談「やっぱり子どもっておもしろい!」】《前編》

社会福祉法人東香会理事

青山誠

りんごの木子どもクラブ代表

柴田愛子

保育をどう伝え、どう受け継いでいくか。
りんごの木の柴田愛子さんと、かつてりんごの木で保育をしていた青山誠さんが子どもたちの帰った教室で、語り合いました。

(この記事は、『新 幼児と保育』2020年6/7月号 に掲載された記事「対談 柴田愛子さん×青山誠さん 『やっぱり子どもっておもしろい!』~その『視点』を伝えていくということ」を元に再構成しました)

目次

お話

柴田愛子さん
保育者。りんごの木子どもクラブ(神奈川・横浜市)代表。子どもの気持ち、保護者の気持ちに寄り添う保育を基本姿勢とし、保育雑誌や育児雑誌への寄稿や子育て中の保護者や保育者向けに講演も行う。『こどものみかた 春夏秋冬』(福音館書店)、『あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます』(小学館)など、著書も多数。

青山 誠さん
保育者。上町しぜんの国保育園(東京・世田谷区)園長。幼稚園勤務を経てりんごの木子どもクラブで10年保育を行う。2019年より現職。りんごの木の保育者時代、第46回「わたしの保育記録」大賞受賞。著書に独自の保育観をまとめた『あなたも保育者になれる』(小学館)。

柴田
りんごの木は何年ぶり?

青山
1年前に来て以来ですね。久しぶりに来て、あらためて思ったんですけど、ここは、子どもの姿が見えるなあって。うちの園は去年開園したばかり。いま保育者といろんな園に行って保育を見せてもらっているんですけど、行くと配膳の仕方とか収納の仕方とかを探ろうと思っちゃうんです。ここは、子どもたちにとっての風景が当たり前すぎて、テクニックじゃない部分が目に入ってくる。子どもが見えてきます。

柴田
そう。

青山
10年前にりんごの木に入ったときは、愛子さんがいて、ぼくよりも経験のある保育者がいて、その人たちと日々たくさんしゃべりながらいろいろ教えてもらいました。でも、保育のやり方を学んだわけではないんですよね。

柴田
うん、うん。

青山
いま、新卒の保育者に「保育をもっと教えてほしい」「間違えないように教えてほしい」といわれるんです。でもそういうふうには保育ってできなくて。子どもも変わっていく、その日の天気によって起こることも違ってくる中で、「晴れのときはこうしましょう。ケガのときはこうしましょうなんて、間違えないように教えるのは無理」とぼくはいったんです。

柴田
そうよね。月に1回、保育者が感じたりとまどったことなどを自由にしゃべるミーティングをやっていて、そこで出た話なんだけどね。子どもがかわいらしいマスコットを拾って、「これどうすればいい?」って聞かれた保育者が、どう答えるか困ったというの。「あなたね、答える必要ないんですけど」って。「この子が考えられるように整理してあげるのが保育でしょ」って。「あら、かわいらしいわね」「落とした人、泣いているかもね」「もらっちゃう?」「どうしましょう?」「困ったね」。最終的に自分がどうしたいかを整理してあげなきゃ。たいていの先生は子どもから聞かれると、正解をどう答えるか悩むのよ。でも、あなたの問題じゃないんですよ、って。ここが難しいのよね。

赤りんご(4歳・5歳)の教室で。車座になって行うりんごの木のミーティング。「あいこさん」(柴田さん)と、この日は「あおくん」(青山さん)も参加。

青山
難しいかもしれない。この前、似たようなことがあって、ちっちゃい子同士で、ひとりの子がもうひとりの子にタオルを持っていってあげたんです。それに対して保育者が、子どもの代わりに「ありがとう」といいたいと。いうことで「ありがとう」という言葉を覚えるからというんです。「それって余計なことじゃない? 別の子に持っていってあげたんだなと心の中で思うのはいいけど、〝ありがとうね〞〝これがありがとうです〞っていう必要ある?」って。うちの園は新卒を含めて48人の大人がいるんですが、こういうことを一つひとつ話しています。

柴田
心に沿うといっても沿い方は千差万別でさ。現場にいて事例をこまやかに伝えていくことしかないのかもね。

青山
りんごの木に来て、最初のころに愛子さんによくいわれたのは言葉なんですよ。言葉をよく怒られたというか。

柴田
そうだった? 怒ってないわよ(笑)。

青山
怒ってはいないです(笑)。意識をせずに使っていた言葉を指摘されることがあって。たとえば、「きょうは赤りんごの教室から青りんごの教室に子どもを流して…」といったら、「流すっていう言葉はさ、ものじゃないんだから」とか。

柴田
そうだね、そうだね。

青山
近くの公園に行って子どもたちに「きょう、なんで集まったかわかる?」って聞いたら、「あなた、知ってんのになんでそういうウソつくのよ」って(笑)。

柴田
アハハハハ(笑)。

青山
そうだよなって。それって、保育全部にいえることで。こういう場面でこうしたらいいよ、ということではなくて、意識の部分で教えてもらったと思うんです。

柴田
人を人として尊重しなさいということなのよね。

青山
そうです、そうです。そういうのを、いまはひっきりなしにやっています。たとえば、昼寝に誘うとき、大きい子どもは昼寝なんてしたくないからなかなか寝ない。すると保育者が、「〇〇くんって、お耳ついてるかな」と。そういうのがすごく多い。

柴田
保育者って、そういう使い方多いよね。「お口にチャック」とかさ。

青山
そう。だからそのつど、そういうのはやめようとメッセージを出しています。みんなで話している。そのとき起こったことを、ああでもないこうでもないといいあいながら、考え方を練っていくしかないというか。

柴田
そうね。

青山
りんごの木の場合、積み重ねたエピソードがすごく豊富じゃないですか。いま起こっていることじゃなくても、そういうエピソードをみんなで分かち合えて、新しく入った若い保育者も、同じようにその話を聞けるのがいいなと思いますね。うちの園は開園したばかりで、まさにいま、いろいろ起こってる。たとえば道路で遊んでいて怒鳴られちゃったときどうしてる? とか。どこに行ったってじゃま扱いなんですよ。でもそこに子どももいるわけだし、自分も感じることがあるだろうし。そういうときにみんなどうする? と。

柴田
それでいうとね、歩道橋の上から落としてしまった粘土が歩いていたおじさんに当たって怒られたことがあってね。保育者がすごい謝っていて、それを子どもがみんなで見てたのよね。おじさんが帰ったあと、その保育者が落とした子どもに「こわかったね」っていったら、その子が「わー」って泣いたのよ。そのあとの子どもたちのミーティングで「こわかった」という話になったとき、「おじさんの気持ちがわかる」といった子がいたの。

青山
へえ。

柴田
私が「ふつうに歩いていたら上から何か落っこちてきて、おじさんもびっくりしたんじゃないの?」っていったのね。すると「おじさんの気持ちがぼくはわかる。やっぱりそれは怒るよ」って。「そうだよねえ」って。怒られたときに、怒られてどうしようじゃなくて、怒る人の気持ちもわかってこそ人間否定にならないというかな。いいおじさん、悪いおじさんがいるわけじゃなくて、みんな同じ人間なんだけど、場面によってこんなことになってしまうと。

青山
うん。

柴田
私はね、基本的にはみんないい人になりたいと思って生きていて、もちろんそうじゃない人もいると思うけど、「人は人を信じていこうよ」という姿勢は、このやわらかい時期に伝えたいと思うのよ。「あのおじさんこわかったね、近づかないでいようね」というのではそこまで伝えられない。「おじさんの気持ちもわかる」っていう声があって、みんなも「ああなるほどね」と思うわけね。私はそれを聞いて「じゃあ、私、今度おじさんに会ったときにね、〝突然上から落ちてきたから驚きましたよね。びっくりしちゃったんですよね〞っていう人になってあげる」っていったの。そういう人がいたら、おじさんの気持ちも落ち着くかもしれない、って。

青山
りんごの木では、そういう話をいろいろな方向から考え直したりしていきますよね。育つといういい方が合っているかわからないけど、みんな愛子さんからいろんなことを吸収して、自分なりに考えているんだと思います。

柴田
育つ側と育てる側がいるんじゃなくて、本当はみんなして勝手に育つのよね。その中で、私も育つんだと思うのよ。親と子も先生と子どももそうなんだけど、誰かひとりが輝いて、というのはできない。みんなして削り合いながら輝くというかさ。なのに保育現場って、往々にして上の人が「育てる人」になっているのよ、「私」を棚に上げて。そこに育つ側がくっついてきていないのよね。

青山
愛子さんと一緒にやってきていろんな影響を受けていると思うんですが、人とかかわるときに思い出しているのは、立派である必要はないということ。立派な園長、立派な先輩、立派な保育者が人の肥やしになるわけでは全然なくって、この人はこんな人なんだな、自分はこうあってもいいじゃん、って。愛子さんとやっているとみんなそういう安心感を覚えるのかなと思う。だから、保育実践を伝える、受け継ぐということのベースにあるのは、人と人との関係性を築くことなのかな、と。

後編へ続く

柴田愛子さん

構成/木村 里恵子 撮影/藤田 修平

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