保育の失敗から学んだ大切なこと~あの体験があって、今がある~

特集
保育の達人たちに聞く「失敗」に学びあり

誰にだって失敗して落ち込むことはあります。大切なのは、それを生かすこと。今回は園長先生や園長経験者の3人に登場していただき、若手保育者だったころの体験を話してもらいました。

自分と向き合うきっかけになった子どものケガ

東京家政大学ナースリールーム施設長

工藤佳代子(くどう かよこ)先生

大学卒業後、東京家政大学ナースリール―ムに就職。2018年より主任保育士、2020年より現職。「子どもの文化学校」0歳児クラスの保育教室主任講師。

保育者1年目の2月、先輩の保育者とふたりで、1歳児クラスの6人と散歩に行ったときのことです。

園の定番のお散歩コースを、その日はいつもとは逆回りで歩いていました。ゆったりと散歩を楽しむ子どもたちと先を急ぐ子どもたち。私は先を急ぐ子どもたちと前のほうを歩いていました。先頭のほうにいた2歳3か月の女の子、あきちゃんが走り始め、それに気がついた先輩保育者が背後から声を上げました。

「その先坂道!止めて!」

「あきちゃん、『いちに、いちに』だよ」

でも、走り始めたあきちゃんは止まりません……いえ、止まれません。

坂道の途中で、あきちゃんは転んでしまいました。

「あきちゃん、大丈夫?」

かけ寄って泣いているあきちゃんを抱き起こすと、左のおでこから血が流れていました。

保護者からのどんな非難も受ける

急いで園に帰り、私はあきちゃんを連れて病院へ行きました。傷口を2針縫うことになりました。

「先生は外にいてください」

看護師さんにいわれ、処置室の前のベンチにすわっていると、あきちゃんの大きな泣き声が聞こえました。

「せんせー、せんせー」

処置が終わって出てきたあきちゃんは、涙でぐちゃぐちゃの顔でしたが、私を目にした途端に満面の笑みを浮かべて、私に抱きついてきました。「痛い思いをさせたのは私なのに、そばにいたのが私でなければこんな痛い思いも怖い思いもしなくてすんだのに……」。あきちゃんは「もう安心」というような表情で私に抱かれていました。胸が詰まる思いでした。

園に戻り、連絡帳を書いているとあきちゃんのお母さんがお迎えにいらっしゃいました。どんな言葉も非難も受けなければならないと覚悟しました。

「申し訳ありません」

と頭を下げ、ケガをしたときの状況と、病院での治療のことを伝えるだけで精いっぱいでした。お母さんはあきちゃんを見て目を潤ませながら、

「すみません、うちの子危なっかしいから」

とおっしゃいました。

「先生、大丈夫ですか」

とも声をかけてくださいました。泣いてはいけない、泣いてはいけないと自分に言い聞かせました。もし涙を見せてしまったら、保護者は仮に憤りがあったとしても、目の前で泣いている保育者を責められないと思ったからです。

その日、あきちゃんはお母さんと一緒に早退しました。保育の後、先輩保育者とお花を持ってお詫びにうかがうと、あきちゃんはケガのことより、私たちが家に来たことがうれしい様子でした。頭も打っているので、その夜、様子に変わりがないか電話を入れました。電話の向こうからはたくさんの笑い声が聞こえ、お母さんはあきちゃんは変わりなく元気なこと、おばあちゃんが「佳代子先生は大丈夫かな」と心配しているとお話ししてくださいました。

保育が怖い

今回のあきちゃんのケガへの対応において、主任をはじめどの先生も私を責めませんでした。「どんなに気をつけていてもケガが起こってしまうことがある。そういうときに自分でしっかり向き合うことが大切だよ」「自分で病院につき添ってみるのも大事だよ」「自分でお見舞いに行く?」など、私が自分で選択できるようにして、背後で見守ってくれました。

3人の先輩保育者からは、単なるなぐさめの言葉ではなく具体的な提案をいただき、体調も気遣ってもらったことがありがたかったです。夜に電話で再び様子うかがいをしたのは先輩からのアドバイスでした。

ケガの翌日、あきちゃんは大事をとって登園しませんでした。翌々日からは3連休で園はお休み。私の気持ちは沈んでいきました。

「こんな気持ちで、また子どもと向き合えるのかな……」「保育が怖い」と休みのあいだじゅう考えていました。それまでも、保育者として「この幼い命を、自分のような未熟な人間が預かっていいのだろうか」という怖さを感じたことはありましたが、保育のおもしろさ、楽しさのほうが勝っていました。あきちゃんがケガをした日から、それが逆転していました。

「変わらない笑顔で子どもを迎えてください」

連休が明けて4日ぶりに登園してきたあきちゃん、玄関から私をめがけて廊下を走り、いつもの朝のように飛びついてきたあきちゃんを、いつものように抱きとめました。そしてお母さんに「本当に申し訳ありませんでした」と頭を下げました。まだ「保育が怖い」という気持ちを引きずっていた私に、お母さんはいいました。

「毎朝あきが先生に飛びついていく様子をみれば、どれだけナースリーが楽しいかわかります。今回のことで、先生があきに申し訳ないという思いを持ち、その笑顔が消えたら、あきにとってはケガよりもそのことのほうが損失です。だからこれからもいつもと変わらない笑顔で迎えてください」

私は頭を下げることしかできませんでした。言葉を発したら、涙が出て止まらなくなりそうでした。

あきちゃんのお母さんのこの言葉がなければ、気持ちを立て直せなかったでしょう。「今の自分にできることは誠実に子どもと向き合うこと、どんなことがあっても、子どもの前に出る自分は誠実であろう。『今日もあなたの一日をお任せください』という気持ちで臨もう。子どもや保護者の方が安心できる笑顔でいよう」。そう思いました。その思いは、今も変わりません。長い保育者人生の中では、家族の病気など、私的な理由で気持ちが晴れないこともあります。それでもいつも安定した笑顔で子どもを迎えようと思っています。

あきちゃんのケガは私の未熟さが招いたものでした。あきちゃんが歩いていた先に坂道があることは知っていました。まだ腹筋と背筋が弱い2歳の子どもは、坂道で走り始めたら、勢いがついて止まれないことの認識がないことが招いたケガでした。ただ、坂道は怖い、と避け続けるわけにはいきません。歩く速度での「いちに、いちに」の声かけや、スローテンポの歌を歌いながら歩くなど、先輩保育者が行っていたことの意味を考えるべきでした。「もっと知識を身につけよう」「もっと先輩の技を学ぼう」と思いました。

あの日のこと、あのときのお母さんの言葉があったから、保育者としての今の自分があると感じています。

保育者1日目の工藤先生とあきちゃん。
保育者1年目に先輩保育者と受け持った1歳児クラスの6人の子どもたち。

(文/佐藤暢子)

同僚が教えてくれた「保育はひとりではできない」

上町しぜんの国保育園園長(東京・世田谷区)

青山 誠(あおやま まこと)先生

幼稚園勤務を経て、りんごの木子どもクラブで10年保育を行う。2019年より現職。第46回「わたしの保育記録」大賞受賞。著書に『あなたも保育者になれる』(小学館)など。

大学で文学を専攻していたぼくが、ひょんなことから愛知県にある私立幼稚園に就職することになりました。

幼稚園教諭免許状と保育士資格はのちに取得することになるものの、就職したころは文字どおり右も左もわからない。最初に園長先生に聞いたのが、

「幼稚園って何歳から来るんですか」

「3歳よ。あなたそんなことも知らずにまあ……」

こんなやりとりから始まるほどだったので、あとは推して知るべし……。

子どもが先生のいうことを聞かないなんて!

その幼稚園では午前はクラス単位での活動、午後は自由遊びと決まっていて、午前の活動は散歩でも造形でも山登りでも(園は小さな山の麓にありました)、担任それぞれに「自由にやっていいのよ」といわれていました。

最初の設定保育は忘れもしない「風になって風を感じよう」というもの。

「みんなー!お手々つないでー、一緒に走ろうー、風になろうー」

と子どもたちに投げかけたら、

「……いやだよ、きもちわるいな」

と返され、えー! 子どもって「先生」のいうこと聞くもんじゃないんだーと初めての衝撃。

よし君とじゅんぺいというふたり組がいつもケンカをするので、

「ケンカはいけないよ」

とそのたびに止めていたら、

「こいつ(ぼくです)がケンカとめるから、ようちえんつまらなくなった」

とよし君とじゅんぺいにいわれて、子どもってケンカ止められるとつまらないんだ! と、またまた衝撃。こんなふうにひとつひとつ子どもから子どもを教わる日々でした。

「遊ばせる」のではなく遊んでもらえばいい

それでも資格もないし、勉強もしてきていない負い目からか、過度に「先生」になろうという欲は捨てきれず、どうにかこうにか子どもたちを遊ばせよう、活動に乗せようとする。でもうまくいきません。しょげかえって職員室に行き、ベテランの先生に、

「子どもたちをどう遊ばせたらいいんでしょう」

と聞くと、

「遊ばせようじゃなくて、子どもに遊んでもらいなさいよ。そうしたら子どもが見えてくるから」

といわれ、なるほどそれくらいならできそうと、次の日から子どもたちの遊びの輪の中にお邪魔してみることに。お邪魔しようとすると、「いいよー」というときと「あっちいけよ」といわれるときがある。それで子どもたちを観察してみると、遊びの種類だったりタイミングだったりが関係していそう(ごっこ遊びは途中から入るのはほぼ無理)。遊ぶうちにだんだん仲よくなっていくと、どの子がどんな遊びが好きで、どの子と仲がよくて、いつも園の中のだいたいどのあたりにいるか、ということも見えてきました。

とうとう主任に呼び出される!

ただ、ぼくがむちゃくちゃだったのはそんなにすぐには直らず(?)、「喉が乾いたから」と幼稚園の軽トラックに乗ってよし君とふたりでコーラを買いに行っちゃったり、各家庭から集めた真っ白なTシャツをこいのぼりの製作に使い、絵の具で塗りたくり、穴をあけ、木の棒に通したTシャツ(だったもの)を持ち帰らせてお母さんたちに激怒されたり。

3か月くらいしたとき、とうとう主任に真っ暗な駐車場に呼び出されました。かなり長い沈黙のあと主任が涙ぐみながら「自由にやっていいっていったけど、こんなに……ちょっとはわたしたちにも合わせてほしい」と。ぼく本人としては自由にやってやろうなんて度胸も実力もなく、合わせたくてもまわりが今どこにいるのかすら見えていなかった。「わかりました」と答えたものの、まるで自信なし。それぞれ担任を持っていてほかの保育者と子どもとのかかわりは見られないし、誰も手取り足取りなんて教えてくれません。唯一、参考になるのは一緒に組んでいる保育者で、まずはそのまねをしてみようかなと、ようやく2年目あたりから思い始めました。

幼稚園勤務時代の写真。

自分と正反対ののぶちゃんから学ぶ

そのとき一緒に組んだのは、のぶちゃん。とにかく穏やかでゆっくりで、気ぜわしいぼくとは正反対。のぶちゃんはうどんを1本ずつしかすすれないので、ともかく食べるのが遅い。給食ものぶちゃんが最後まで食べているときがある。そうするとこっちはひとりで子ども見なくちゃいけない。でもそんなことはどうでもいいこと。のぶちゃんのゆったりとした空気感、その一挙手一投足をまねてみることに。が、3日くらいでギブアップ。こんなテンポじゃまどろっこしい!でものぶちゃんはまた悠々と子どもとかかわっている。すごいね、オリジナルは。ぼくが100努力してもオリジナルの足元にも及ばない。全然努力してなくてものぶちゃんはのぶちゃん。当たり前といえば当たり前の、でもぼくにはそれが大発見でした。

「アオヤマはなんで給食のときにいつも怒っているの」と子どもたちにいわれ、てきぱき動いているつもりだったのにそんなふうに見えているのかとまた反省。昼ごはんの準備のときだけはのぶちゃんの空気感をまねしてみる。そのうちに声やかかわり方の強弱もなんとなくまねできるようになってきました。

つらい同僚を守れなかった後悔

新人のころの思い出で覚えているのは、ある夕方、同僚のかずえちゃんが園庭の真ん中で、「子ども産んだこともないくせに」みたいな調子でひとりのお母さんからきつくいわれていたときのこと。しかしぼくはそれをスルー。太刀打ちできなかったから? いや怖くて逃げちゃった。今ならいくらでも言い返してやるけど、そのときはもうどうにも足が動かなかった。悔しかったし恥ずかしい。あんな思いは二度とごめんです。

新人時代を思い出すとたくさんの子どもや同僚たちとの思い出が浮かんできます。保育はひとりではできないし、ぼくもひとりで保育者になったわけでもありません。つらいこと、苦しいこと、悔しいことは分け合ってちょっとでも軽く、楽しいことは分かち合ってもっと楽しく、子どもといることの幸せを感じていけたらいいなと、今は思っています。

(文/青山 誠)

私の保育観を形づくった3つの失敗体験

「子どもとことば研究会」代表

今井和子(いまい かずこ)先生

23年間公立保育園で保育者として勤務。その後、東京成徳大学教授、立教女学院短期大学教授などを歴任。現在は豊富な経験をもとに、全国の保育者研修などに力を注いでいる。

ゆうや君のひとり遊びからの学び

失敗談は数えきれないぐらいあります。若手保育者だったころの保育の中での失敗、社会人としての同僚との失敗など。その都度、反省して改善点を探してきましたが、いつも子どもたちが支えてくれました。

当時は30代前半で保育歴7年目。2歳児クラスの受け持ちで、ふたりで担任を任されていました。

ある日、ほかのクラスの先生に、 「ゆうや君(2歳4か月)がトイレで大変よ。早く行ってあげて!」

と声をかけられました。急いで行ってみると、ゆうや君がトイレの流しにイヌの縫いぐるみを持ち込み、ビショビショに濡らしているのです。思わず、

「ゆうや君、何やってるの!」

と注意しながら縫いぐるみを取り上げ、ギュッと絞りました。持っていた縫いぐるみを突然取り上げられたゆうや君は、

「ちゃうの(違うの)、ちゃうの」

と怒って、私をたたき続け、テラスに干し終わっても、泣きながら私のあとを追い続けました。そんな私たちふたりの様子を見ていたもうひとりの担任が、

「そういえば、さっきゆうや君、イヌの縫いぐるみを抱きながら、『ワンちゃん、うんちだね』っていいながら出て行った気がします」

と話してくれました。

ゆうや君は、いつもパンツにうんちをしてしまい、保育者にトイレでおしりを洗ってもらっていたのです。きっとそれが気持ちいい体験だったのでしょう。自分のことを大事なイヌの縫いぐるみに見立て、本人はおしりを洗ってあげる保育者になったつもりで、縫いぐるみのおしりを濡らしたようでした。

「ゆうや君、ゆうや君はワンちゃんのおしりを洗ってあげていたんだね」

と、私が確かめると、うれしそうにニコッと笑い、 「うん」といって泣きやみました。

子どもが今、何を思い描いているか、イメージしていることを理解することがどんなに大切かがわかった瞬間でした。子どものつぶやきには、その子の願いやつもり、考えがちゃんと表れています。もし、もうひとりの先生が、ゆうや君のつぶやきを聞き逃していたら、ただ嫌なことをする子として、すませてしまったでしょう。子どものつぶやきを聞き、子どものイメージする世界を大切にする。私の保育の原点となる出来事でした。

初めての大きなケガ……そのとき思ったこととは

失敗して申し訳なかった、と悔いることは何度かあっても、保育者を辞めたいとまで思ったことはほとんどありません。唯一あったとしたら、それは子どもに大きなケガを負わせたときでした。

初めて4歳児の担任になったのは、30代の後半のことです。その園ではニワトリを飼育していて、毎日ふたりずつ交代で世話をしていました。エサになる野菜を切るのがみんな大好きで、その日も楽しく準備をしていました。そのときです。

「あっ」

という驚きの声と同時に、ひとりの子が指を切ってしまったのです。指先が取れそうなくらいの深い傷で、何針も縫うことになりました。

そもそも、包丁を使ってエサの準備をしたいと、園長先生に申し出たとき、まだ子どもたちには早いんじゃないか、と懸念されたのを、ちゃんと見ているから大丈夫ですと、半ば強引に始めた取り組みでした。そんなこともあり、心に受けた衝撃がものすごく大きく、初めて保育者を辞めたいと思いました。そんなとき、園長先生は、

「失敗はみんなあるよ。不注意によるケガもあれば、気をつけていてもケガはある。今回はあなたの怠慢でケガをしたわけじゃないし、辞めたくなる気持ちはわかるけど、辞めることが失敗を償うことじゃない」

と、言葉をかけ、支えてくれました。保護者の方にも、

「大丈夫よ、先生。これだけ細かく縫っていればくっつくでしょう」

といっていただきましたが、指が完全にくっついて心配なくなるまで、落ち着けませんでした。

当時の園長先生がおっしゃっていたように、失敗は誰にでもあります。ただし、不注意からくる失敗は責任が大きいということを自覚しなければなりません。そんなときは、「仕方ないよ」「誰でもあることだよ」などという慰め方はしないほうがいいと思います。不注意なら、それだけ自分が悔いなければいけません。保育者は守り、育てるのが仕事なので、追及されなければいけないのです。二度とそんな事故が起こらないようにするためにはどうしたらいいか、みんなの問題として、みんなの学びになるように、話し合いをしなければなりません。

30年以上前のお散歩途中のスナップ写真。「子どもたちは悲しいことがあっても、なんとかしなくちゃ、って思いが強く、常に前向き。そんな笑顔に何度も支えられました」

保育者同士のかかわり方による失敗

勤め始めて5年ほどたったとき、保育歴17〜18年の先輩保育者と組むことになりました。当時の保育者は怒ることが多く、子どもが何か悪さをすると、

「物置に入れちゃうよ!」

お散歩に行って戻ってこないと、

「もう、置いていくよー」

と帰るふりをしたり。とにかく子どもを脅かすようなことをしていたんです。私はそれに対して、これからの保育はそれではまずいと思い、

「それは子どもにとってよくないのでは」

といってしまったんです。でも、長い間それでやってきた先輩が聞き入れてくれるはずもなく、お互いに、「この人とは合わない」「この人とはもう組みたくない」って思うようになってしまったんです。それで結局折り合いがつかないまま、3月まで一緒に担任を続けました。

数年たち、自分が主任の立場になって初めて、これはものすごい失敗だったと気づきました。機嫌のいい大人関係の中で育つことが子どもにとっては財産になります。複数担任の保育者同士がいがみ合っていると、子どもには絶対伝わります。子どもにとって不安定な時期を作り、長い間過ごさせてしまったことが、今でも悔やまれます。

保育者にもいろいろな人がいます。でも、考え方や価値観が違っても、「いい保育をしたい」という思いは一緒です。保育者という専門職についた以上、子どもへの思いや保育のビジョンなど、共通点は必ずあるはず。そこを認め合い、大切にしていくべきではないでしょうか。

(文/大石裕美)


イラスト/奥まほみ

『新 幼児と保育』2020年12/1月号より

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