ジャングルジムになりたい!?【井桁容子先生の共育ち支援ルーム】

非営利団体コドモノミカタ代表理事

井桁容子

子どもから期待したとおりの答えが返ってこなかったとき、それは保育者にとっての学びのチャンスです。

井桁容子 (いげた・ようこ)

保育の根っこを考える会主宰。福島県いわき市生まれ。東京家政大学短期大学部保育科を卒業後、同大学ナースリールームに2017年3月まで勤務。おもな著書に『ありのまま子育て─ やわらか母さんでいるために』(赤ちゃんとママ社)、『保育でつむぐ 子どもと親のいい関係』(小学館)など。

大きくなったら何になる?

長女が4歳ぐらいのときだったでしょうか。保育園で「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたときに、娘は「ジャングルジム」と答えたと連絡帳に書いてありました。子どもたちに「大きくなったら何になる?」というような質問をすると、「物理的に大きいもの」ととらえて、「ぞうさん」とか「ブルドーザー」とか答える子どもがよくいます。娘も「大きくなったら」の意味を何か勘違いしたのかなあと思いながらも、本人がそう思ったのならそれでいいかと、当時は深く追及せずにそのまま受けとめていました。

それから数年後、たぶん小学校4年生くらいだったか……学校で幼いころのことをふりかえる授業があるとかで、アルバムや文集を見たりしているうちに、そのときのことを思い出して聞いてみました。 「そういえば、どうしてあのとき、大きくなったらジャングルジムになりたいって思ったの?」。勘違いしてとらえていたのだとしたら、忘れてしまっているかもと思いつつ尋ねてみたのです。しかし、娘の答えは明快でした。

「それはね、ジャングルジムは保育園で子どもたちに一番人気で、みんなジャングルジムに登って遊んでいたから、私もみんなが寄ってきて遊んでくれる人になりたいと思ったんだよ」と。

あー、なんと!! 立派な意味を持って憧れていたのでした。本当に失礼しましたと内心娘にお詫びをしながらも、「なるほどねえ、それはすてきなことだね」と、幸せな気持ちになったことを覚えています。

大人が学び直す必要あり

※写真はイメージです。

ずいぶん前のこととはいえ、保育の仕事に長年にわたり専門家として取り組んできた私でもこんな調子です。恥ずかしい限りです。大人はいつもこんなふうに、子どもをいつのまにか未熟な存在と見てしまいます。でも丁寧に訳を聞いてみると、大人には気づくことのできないすごい視点で、子どもは人やモノや世の中を見ていることがあります。

大人は子どもの前では、常にもっと謙虚であるべきだとつくづく思います。

少し角度は違うのですが、つい最近おばあちゃんの立場の方からびっくりするエピソードを聞きました。それは、お孫さんの幼稚園での出来事です。先生が「大好きな人を描いて」と子どもたちに絵を描くことを求めたら、その方のお孫さんはコックさんの絵を描いたとのこと。すると、幼稚園からお母さんが呼び出され、「ほかのお子さんはみんなお母さんのことを描きました。愛情不足ではないですか?」と指摘されたそうです。

お母さんもおばあちゃんも、このお子さんがなぜコックさんを描いたかその訳を知っています。その数日前に家族で外食したときに食べたものが気に入って、「私もこんなお料理が作れる人になりたい!!」と憧れの人になったからです。だから、その絵を描いたことは、ごく自然に受けとめられました。

読者のみなさんは、このことをどのようにとらえますか?

幼児の大好きな人は、「お母さん」と答えがひとつに決まっていると、保育者または園全体で認識しているということでしょうか。そうだとすると、幼児の心の発達を正確にとらえているといえるでしょうか?保育者という専門家の立場で、精神的、感情的好みで子どもに期待している答えを正解とし、みんな同じであることを「安心」とする……。

21世紀のこれからの教育は人にしかない魅力を大事に育てていかないと、AIのほうが優れているといわれてしまいます。子どもはいつの時代も、自由な発想で物事を柔軟に見る力を持っています。学び直しはどうやら今の大人たちに必要な気がしてならない昨今です。


写真提供/東京家政大学ナースリールーム

『新 幼児と保育』2018年12/1月号より

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