背伸びしてなりたい自分に変身していく戦いごっこ ~第54回「わたしの保育記録」佳作

特集
小学館が後援する保育記録の公募「わたしの保育記録」

第54回「わたしの保育記録」応募作品の中から、佳作を受賞した作品をご紹介します。

(一般部門)
背伸びしてなりたい自分に変身していく戦いごっこ
山梨大学教育学部附属幼稚園(山梨・甲府市) 荻原 ひろみ

今年の夏、ひとりの卒園生が園を訪ねてくれた。中学1年生になったけん君だった。けん君は、年長の9月にお父さんの転勤で大阪に引っ越してしまったのだが、学校行事の代休を使って山梨に遊びに来たのだという。スラリと背が伸びたけん君は、私を見下ろしながら「こんにちは。お久しぶりです」と少し照れながらもきちんと挨拶をしてくれた。その横では、3歳児のクラスの子が色水を作ったり、三輪車に乗ったりして遊んでいた。けん君は「ぼくがいたときとちっとも変わらない。今でもどこで何して遊んだか、ちゃんと思い出せる」と園庭を懐かしそうに見つめていた。

私は、けん君のそんな姿を見ながら、共に過ごした時間を想い出していた。

けん君との生活は、どの場面も色づき、セリフつきで思い出せるほど、忘れがたく鮮明な記憶となっている。出会いは入園式。式が終わり、皆が、緊張から解き放たれ、式場である遊戯室を出ていく。そんななか、けん君だけが、他の人とは逆の方に歩いてきた。マイクの片づけをしていた私に近づいて「ねーこっちのマイクは、どうしてひもがつながってないのに音が出るの?」と聞いてきた。一瞬私は何を聞かれたのか分からず、何も答えられなかった。一緒にいたお父さんが「有線マイクと無線マイクの違いが気になるらしいんです」と言葉を添えてくれた。私はその質問に驚き、慌てて「こっち(無線マイク)には見えない線があるんだよ」と答えた。けん君は不思議そうな表情のまま帰って行った。私は、もう少し気の利いたいい方がなかったのかと反省しつつ、そんなけん君の姿に明日からどんな生活が始まるのかワクワクしていたのだった。

翌日からけん君を含めた17名との生活が始まった。けん君は、昨日の晴れ晴れとした様子とは一変。お母さんと離れられず、テラスで大泣きをしている。その後、やっとお母さんと離れ部屋に入ったけれど、けん君は結局一日泣いて過ごした。数日経ち、少しずつ園に慣れてきたものの、何かあるとすぐ泣き出し保育者のそばを離れない。1学期の間、そんな様子がずっと続いた。入園式のときのキラキラしたあの表情は、どこにいってしまったのか。

2学期になり、けん君は家で作った「○○レンジャーの武器」を持って登園するようになった。元気に登園するようになったのはいいのだが、登園すると同時に『変身!』する。誰彼構わず、剣でたたいてしまうのである。どうやら夏休みの間にテレビを見て、戦いごっこに目覚めてしまったらしい。今まで一緒に遊ぶことはなかったりょう君やまさき君が戦いごっこを始めると、ためらうことなくけん君も仲間に入る。ただ、あまりに唐突な入り方をするので「けんちゃんは、ダメ」と言われ、ときにはたたかれてしまう。が、1学期あんなに泣いていたのに、『変身』したけん君は泣かなくなった。むしろ「悪者め。変身だ!やっつけてやる!」と戦いを挑んでいくのである。泣いていたけん君は一変して、泣かせる側に『変身』してしまったのである。他の子も巻き込みながら、戦いごっこはどんどん広がっていった。クラスの中で、あまりにも激しくなっていく戦いごっこ。「お友達をたたくと痛いでしょ。たたく真似だけね」とその都度注意するも、『正義の味方』になりきっている彼らには、そんな言葉はなかなか届かない。毎日起きるトラブルに、いっそのこと戦いごっこはやってはダメ、と止めてしまいたくなるほどだった。

2月、「不審者対応避難訓練」を行ったときのことである。本園では、毎年この時期に警察の協力のもと不審者が園庭に侵入したことを想定した訓練を行っている。3歳児にとっては、初めてのことなので必要以上に怖がらせないように事前に説明をして訓練に臨んだ。誰も泣くこともなく、クラス全員が指示通り避難することができた。その翌日、けん君、りょう君、えいじ君、こうた君が「おい、悪者がいるからパトロールにいくぞ!」と4人一緒に剣を片手に園内の見回りを始めた。「こっちは大丈夫だ!」とけん君。りょう君の「あそこが怪しいぞ!」の声にみんなが集まり、走って行く。どうやら避難訓練でのリアルな怖さが、子ども達の気持ちに変化を生み出したようだ。これまで戦い合っていた友達同士がつながり、一緒に「悪者をたおす」ために力を合わせることを心地よく感じ始めているようだった。トラブルも減り始め、かかわりが広がりながら遊べるようになっていった。が、そんな日々も、つかの間、進級の時期を迎えた。

本園は、3歳児の2クラスが一緒になって4歳児に進級する。戦いごっこを繰り返し、強くなったはずのけん君は、新しい環境になかなかなじめないようだった。けん君は、3歳のころから、自分が作ったものに対するこだわりがあり、ものがなくなるといつも大騒ぎになった。テラスにはいつもけん君専用の大きな袋があり、作ったものはすべてそこに入れてあった。3歳のときに大きな段ボールで作った「探偵事務所」は、袋には入らないので春休み中捨てられてしまわないよう保管しておいた。けん君はそれを持って進級した。予想通り、進級当初けん君はお気に入りの廊下の隅に事務所を置いて友達が中に入ろうものなら「ダメだ。ここは、けんちゃんの事務所だ!」と誰ひとり中に入れずに過ごしていた。1週間経ったころ、そこに入園したばかりの3歳の子が入っていった。「けん君きっと怒るよな」と思って見ていると、「ここは探偵事務所なんだ。一緒にやる?」と優しく言葉をかけているではないか。驚いた。と同時に、けん君が葛藤しながらも、安心できる自分の居場所を支えに、周りの変化を受け入れられる自分へと脱皮しているのだと感じた。それからしばらくして、「探偵事務所」は必要なくなった。けん君の行動範囲は広がり、園庭で川を作ったり、大きなSLを作ったり、と友達と一緒に活動することが増えていった。また、ものへの関心が強く、思うようにならないと怒り出したり、泣き出しなりしながらも、回転寿司のセットを本当に廻るようにしたいと紙皿を糸で繋いで動くようにしたり、本当に動く車を作りたいと工夫したりする姿も見られるようになっていったのである。

そして、みんなが年長への進級を心待ちにしていた3月、東日本大震災が起きた。幸い山梨は、大きな被害はなかった。が、経験したことのない大きな揺れと共に連日の放送される地震による被害の様子が子ども達のなかに刻み込まれていったのだった。その時点で、心配された子どもへの影響は表面的には現れないまま、ほどなく春休みになった。

そして、4月。34名がそろって年長へと進級した。入園式では、みんな、誇らしそうに小さな仲間を迎え入れた。私も一緒に進級し彼らを3年間担任することになった。

5月の連休明けのことだった。えいじ君、たかし君、りょう君、けん君、こうた君が相変わらず、戦いごっこをしていたとき、えいじ君が「戦いごっこで、やっつけられるふりをするのは嫌だ!」といい始めた。えいじ君は「戦いをやりたいんじゃあなくて、おれは世界を守りたい!」と大きな声で怒ったようにいい放った。周りの子の動きが止まった。すると、けん君が「世界の敵は地震だ!」とひと言。その言葉を聞いた子ども達の表情が変わった。それまで、えいじ君を戦いの標的にしていたりょう君が武器を置き「地震のもとをみんなで探そう!」と一番に砂場からスコップを持ってきた。穴掘りが始まった。こうた君は「避難している人は水が足りないから」とバケツいっぱいに水をくんできて、穴に水を入れていく。土が軟らかくなるとまた掘り進めていく。その日から2週間、『地震のもと探し』は続いていった。日に日に穴掘りの仲間が増えていった。こうた君とりょう君は「ショベルカーがあればいいのに」と重機のカタログを見ながら三輪車に木を取り付け、魚焼きの網を曲げて取り付けて、ショベルカーに改造してしまった。そして、いつの間にか彼らの武器は泥まみれになって使われなくなっていったのだ。

「おれは世界を守りたいんだ!」というえいじ君の言葉を聞いたとき、私は『戦いごっこ』の本当の意味にやっと気づくことができた。「戦い」も「地震のもと探し」も『世界を守る』ことにつながっていた。『変身』したけん君が泣かなくなったのは、『戦いごっこ』の中で、みんなを守る強いヒーローになったからなのだ。

中学生になったけん君は、帰り際に「将来みんなの役に立つ研究をしたい」と少し照れたように教えてくれた。きっと、その思いは泣き虫だったけん君が「なにー悪者め。変身だ!やっつけてやる!」と戦いを挑んでいったときに芽生えたものに違いない。

正直言って、『戦いごっこ』は、どう発展させたらいいのか分からない、私にとってむしろトラブルの元のような苦手な遊びであった。だが、そこでは、子ども達が強い自分に『変身』し、ぶつかり合いを繰り返しながら成長していった。

『学ぶことは変わること』。これは、私たちの園で研究してきたなかで、たどり着いた『学び』の捉えである。子どもが生き生きと遊んでいるとき、そこでは、心も身体も躍動している。子どもが自ら人やものとかかわっていくとき、子どもは『変身』を遂げていく。けん君の育ちの道筋が、私にそのことを教えてくれた。どの子にも、一人ひとり、その子なりの『変身』の瞬間があるはずである。けん君のまぶしいほど成長した姿を見送りながら、遊びの中の楽しさと充実感を子どもと共に創り出す保育者でありたいと改めて思ったのだった。

受賞のことば

山梨大学教育学部附属幼稚園(山梨・甲府市) 荻原 ひろみ

このたびはこのような賞に選んでいただきありがとうございます。

私達の園では「園生活の主人公は子ども」であると考えています。保育は子どもと創り出すもので、答えがひとつではないから楽しい一方で、毎日が悩みの連続です。

だからこそ、私達は記録を残し、語り合い、互いを支え合って日々を重ねてきています。そんな中、けん君との再会での私なりの発見を皆に伝えたい衝動に駆られました。彼のひと言から、かつて悩んだことが「今」とつながり、見えてきた「育ちの物語」。悩みや失敗も含め、今だからこそ伝えられる「子どもの育ち」があると思いながら綴っていきました。

今回の受賞は、保護者の皆様はじめ保育を支えてくれる方々、園長先生、職場の仲間、そして何より大事な事を教えてくれる子どもたちに感謝を込め、報告したいと思います。ありがとうございました。

講評

國學院大學教授 神長 美津子

「幼稚園の先生をやっていて、よかった」と思う、ほっこりとした作品です。また、子どもたちが「戦いごっこ」に夢中になる気持ちが、少し理解できました。戦いごっこは、どの園でも見られる遊びであり、おそらく保育者であれば、「どうしよう。このまま続けていいかしら」と、その対応に悩む遊びでもあります。この作品は、子どもは、単に「強くなりたい!」だけで戦っていると思っていたけれど、そうではなく、その内面で揺れ動いていることは、「世界を救いたい」「弱い人を助けたい」という気持ちではないかと投げかけています。なるほど、そうかもしれません。「大きくなりたい」「強くなりたい」という子どもたちの気持ち、大切にしたいと思いました。

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